アキバのつぶやき
2025.08.08
節目
人生には、誰にとってもいくつかの「節目」と呼べる瞬間があります。入学、卒業、就職、結婚、転職、退職…。今年は日本が原子力爆弾を投下された戦後80年という節目。
こうして並べてみると、節目というものは一見、外から与えられるイベントのように感じられます。しかし実際には、自分の中で「ここからは別のステージに進む」と決めた瞬間こそ、本当の節目なのだと思います。
節目をどう迎えるかは、自分の未来の質を決めると言っても過言ではありません。ただ流されるように過ぎてしまうのか、それとも自ら舵を切るのか。この差は、数年後に大きな違いとなって現れます。節目に際して、自分は何をやめ、何を始めるのか。何を守り、何を変えるのか。こうした問いを自分に投げかけることが、次の一歩を鮮明にします。
また、節目とは、人生のリズムを作る拍子木のようなものです。響かせ方ひとつで、その後の歩みが軽やかにも、重くもなる。せっかく訪れる節目なら、恐れずに、勇ましく、そして楽しみながら超えていきたいものです。
2025.08.07
自分というものはないから
最近、ふと目にしたタイトルに「自分というものは、ないから」というものがありました。
たったこれだけの言葉に、私は強い引力を感じました。
これはおそらく、「自己とは何か」という人間の根源にかかわる問いを投げかけているのでしょう。
最初に思い浮かんだのは、仏教における「無我」の思想です。私たちは「自分」という一貫した存在があると信じていますが、仏教的には、それは単なる束のようなもので、常に変化し続ける関係性や現象の集まりにすぎないと思います。また、そう考えると、「自分にこだわる」ことが、むしろ苦しみの源であると言えるのです。
よく言われてきた言葉で、「自分らしく生きろ!」がございます。そうだ!そうだ!と、その時は妙に納得させられる言葉ではありますが、「自分らしく?」、「そういわれてもなぁ!」というのが正直なところではないでしょうか。
そんな中、「自分というものはない」と言い切ることで、むしろ自由になれるのではないか。そんな逆説的な視点が、このタイトルには含まれているように感じました。
そんな生き方こそが、今を生きるヒントなのだと思います。
2025.08.04
好きな苗字
仕事柄、苗字に敏感になります。少し前ですが、とある相続物件の表札が、とてもおめずらしいお名前でしたので、記憶に残っていました。そして先日、ある場所に用事で行きますと、そのご近所に同じ苗字の表札を発見。
これも何かのご縁と思い、インターフォンを押してみました。奥様がわざわざ玄関先まで出ていただき、事情を説明しますと20年前にも、職場で同じようなことを聞かれたことがあるとのことで、話が弾みました。ご主人様のお名前ですので、出身をお聞きしますと信州の方面とのことでした。
ですが、その同じ苗字の方は全く縁もゆかりもないとのことでした。そんなものなのかなぁと、同級生のことを思い出しました。
ある放送局の論説委員の方に、珍しい苗字の方がいます。そのお名前と同じ同級生がいるのですが、顔つきが似ています。特に目のあたりの雰囲気が似ています。
今度、会合があったときに聞いてみよ!私のようなありふれた苗字の人間からすれば、とてもうらやましいのですが、実際は、読み方が分からないので説明するのが面倒だとか、よく間違われるといった煩わしいことがあるかもしれません。
ユニークも平凡もどちらも、どっこい、どっこい、ということですね。因みに、私の好きな苗字は、昔から「長谷川」です。
皆様もあこがれの苗字はございますか?
2025.08.03
序破急の世界
本当に毎日暑い日が続きますね。夏といえば、野球。
本日は、一見すると野球の話題ですが、組織の戦略を考える上で示唆に富む現象について考察いたします。それは、かつて「ピッチャー、振りかぶって第1球を…」という実況と共に親しまれた「振りかぶる(ワインドアップ)投法」が、「絶滅危惧種」になりつつあるというものです。
この野球の現象は、伝統と革新、効率と美学のバランス、そして組織の戦略的適応のあり方について、私たちに深く考える機会を与えているのではないでしょうか。
2025.08.02
居座る理由、そして問われる信頼の本質
企業であれば、株主総会で否決されれば経営陣は交代します。それが市場原理ですし、信任の可視化です。しかし政治の世界は少し事情が異なるようです。
この2つの事例に共通するのは、「説明しないこと」ではなく、「説明できない状態にあること」なのかもしれません。説明責任というのは、法律上の義務である前に、信頼の設計図だと思っています。政治もビジネスも、信頼で成り立っています。顧客に対して、あるいは市民に対して、「なぜ自分がそこにいるのか」を語れないリーダーは、長期的に見て支持を失っていきます。
信頼とは、透明性と誠実さの上にしか築けません。政治の世界にも、企業経営と同じように「市場」があるとするなら、それは“有権者の目”という市場です。
その市場は今、冷静にリーダーたちの行動を見つめています。