アキバのつぶやき
2026.03.06
あなたは何を卒業しますか?
卒業シーズンになると、毎年のように「旅立ち」という
言葉があちこちで聞かれるようになります。けれども、
私はこの時期になると、少し違うことを考えます。
卒業というのは、実はそれほど大きな出来事ではないの
ではないか、ということです。もちろん当人にとっては
区切りでしょう。しかし、人生という長い時間軸で見れば、
単なる通過点にすぎません。
変わるとすれば、日々の行動の積み重ねだけです。派手
今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。
2026.03.05
企業の私物化
ニデック社の永守氏が退きました。
創業者が猛烈に会社を引っ張っている間、
誰もそれを私物化とは呼ばない。
むしろ「強いリーダーシップ」と称賛する。
業績が伸び、株価が上がり、雇用が増える限り、カリスマは正義です。
ところが、少しでも歯車が軋むと途端に評価が反転する。
でも、考えてみますと、創業者経営とは、そもそも“私”から始まるものです。
ビジョンも、執念も、違和感も、全部が個人に紐づいている。
その強度があるからこそ、その他大勢では見えない景色が見える。
問題は私物化かどうかではありません。
強烈な創業者はアクセルです。
アクセルを否定するのは簡単ですが、
それではそもそも走らなかったかもしれない。
退任とは、創業者の物語の終わりではありません。
本質はもっとシンプルです。「この会社は、創業者を超えられるか。」
それとも時間を超えて持続するのか。そこにしか、経営の面白さはありません。
今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。
2026.03.04
戦争はただの自己を守るめくらましなのか?
トランプ大統領が、イランを攻撃しました。
するとすぐに出てくるのがこの物語です。
この手の説明は、実に分かりやすいです。
ビル・クリントン大統領が弾劾問題の最中に、軍事行動を取ったとき、
「目くらましだ」という批判が噴き出しました。いわゆる“逸らし戦争”仮説です。
でも、仮説は仮説に過ぎない。
そもそもイラン問題は突発的なテーマではない。
何十年も続く地政学の構造問題です。
これを「スキャンダル隠し」で説明するのは、
複雑な数式を四則演算で解こうとするようなものです。
株価は揺れ、原油は跳ね、議会は騒ぎ、同盟国は神経質になる。
支持率が必ず上がる保証などどこにもない。リスクが高すぎる。
では動機は何か。
対外強硬姿勢はスキャンダル対応ではなく、ブランド戦略の中核です。
アクセルを踏むのがデフォルト。ブレーキはない。
そこで問うべきは、この軍事行動は、長期戦略に整合しているのか。
しかし国家はドラマで動いていない。利害で動いている。
ですが現実は、もっと退屈で、もっと冷酷です。
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2026.03.02
京アニ
偶々お昼に、お客様宅で会話しているときに、
京アニの話題になりました。
それは、2019年のあの日から、時間は確実に流れているはずなのに、
心のどこかは止まったままだという人も少なくないでしょう。
作品数を量産するわけでもない。むしろ逆です。
一本一本を、手間暇をかけて磨き上げる。
まるで工芸品のように、アニメーションを作る。
そこに徹するという戦略でした。
2019年の放火事件は、会社から多くの才能と未来を奪いました。
しかしその後の京アニは、被害者であることに寄りかからなかった。
静かに、しかし確実に制作を再開し、作品を世に送り出した。
その姿勢こそが、企業としての本質を物語っています。
逆境に置かれたときに、何を守るかです。
京アニは「作り手を守る」ことを選びました。
下請け構造に依存せず、正社員中心で育てる。
効率よりも蓄積を重んじる、この非効率に見える選択が、
他社には真似できない独自性を生んだのです。
八田社長の死去は、一つの時代の終わりかもしれません。
しかし、京アニという会社が体現してきた思想は、
作品の中に、組織の中に、確かに残っています。
戦略とは、ポジショニングではなく「やらないこと」を決めることだと言われます。
京アニは、安易な拡大をやらなかった。
スピード優先をやらなかった。その代わりに、信頼を積み重ねた。
その人格が残るかどうか。それが本当の経営の評価でしょう。
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2026.03.01
文書が暴くもの、私たちが見たいもの!
故ジェフリー・エプスタインをめぐる文書公開が、
世界中で大きな関心を集めています。
そこに誰の名前があるのか。
何が書かれているのか。
しかし私は、
少し違う角度からこの問題を考えたいのです。
文書とは事実の集合です。
けれども、事実が並んだからといって、
真実が立ち上がるとは限りません。
人は文書を見るとき、
無意識に「物語」を探します。
悪者は誰か。
黒幕はいるのか。
すべてを説明する一本の線を引きたがる。
けれど現実は、
そんなに整然とはしていません。
文書が示すのは断片です。
日時、会食、連絡記録。
それ自体は意味を持たない。
意味を与えるのは私たちです。
ここに危うさがあります。
不確実な情報空間では、
人は「単純な説明」に安心します。
複雑な世界より、
分かりやすい陰謀の方が心地よい。
戦略論で言えば、
これは情報の非対称性の問題です。
断片的な情報に、
過剰な意味を付与する。
重要なのは、
文書に何が書かれているか以上に、
どう読むかです。
透明性は必要です。
しかし透明であればあるほど、
受け手のリテラシーが問われます。
文書は光を当てます。
けれど同時に、
私たちの思い込みも照らし出します。
暴かれているのは誰か。
もしかすると、
私たちの「見たいもの」なのかもしれません。
今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。