アキバのつぶやき

2026年03月

2026.03.13

コンセント抜きましたか?

 「コンセント抜いたか!」。

これは作家の 嵐山光三郎 の著書
コンセント抜いたか! に出てくる、
どこか可笑しく、そして妙に人生の核心を突く言葉です。

家を出るとき、人は必ず確認します。
戸締まりをしたか。ガスは止めたか。そして最後に、
「コンセント抜いたか」。

考えてみると、コンセントというものは不思議な存在です。
壁にある差し込み口は、電気の出口のように見えます。
しかし、そこにプラグが差し込まれた瞬間、
電気は家電の側へ流れ、家電は電気を受け取る入口になります。

つまり、コンセントとプラグは、
入口と出口が固定されているわけではありません。
つながった瞬間に、互いの役割が決まるのです。

人間関係や仕事も、どこかこれに似ています。
自分は与える側だ、受け取る側だと
役割を決めてしまいがちですが、
実際には人はいつも両方です。

誰かから知恵や助言を受け取る。
そして別の誰かに経験を渡していく。
入口でありながら、同時に出口でもある。
だからこそ、つながり方が大事になるのでしょう。
プラグが差さっていなければ、
どんな電気も流れません。

人の能力も経験も、つながらなければ
ただそこにあるだけです。
「コンセント抜いたか!」という言葉は、
単なる外出前の確認のようでいて、
少し違う意味にも聞こえてきます。

あなたは今、どこにつながっていますか。
そして、そのコンセントは、
ちゃんと差さっていますか。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.12

15年たって思うこと

 15年前、私は47歳でした。年齢だけ見れば働き盛りですが、
心の中はどこか曇っていました。毎日仕事はしているものの、
その先に何があるのかが見えない。
仕事に未来を感じられず、どこか悶々とした日々を送っていたのです。

もちろん生活のために働いているという現実はあります。
しかし、それだけでは人は長く走り続けることができません。
仕事とは本来、自分の人生とどこかでつながっているはずのものです。
けれど当時の私は、そのつながりを見失っていました。

転機は、特別な出来事があったわけではありません。
ただ、「この仕事は誰の役に立っているのだろう」と考えるようになったことです。
不動産という仕事は、土地や建物を扱う商売です。
しかし、その本質は人の人生に関わる仕事でもあります。
家を買う人、売る人、相続で悩む人、空き家で困っている人。
そこには必ず誰かの生活と物語があります。
そう考えるようになってから、仕事の見え方が変わりました。
売ることだけが仕事ではない。人の困りごとを解決することこそが、
不動産営業の価値なのではないかと思うようになったのです。

気がつけば、あの頃のような悶々とした気持ちは消えていました。
今は、人の世のために役立つ不動産営業マンとして日々を過ごしています。
もちろん、仕事ですから大変なこともあります。
しかし、誰かの役に立っているという実感は、人を前に進ませてくれる力になります。

15年前の自分は、仕事の意味を探していました。
今の私は、その答えを少しだけ見つけた気がしています。
仕事の未来とは、どこか遠くにあるものではなく、
誰かの役に立つその瞬間の中にあるのかもしれません。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.12

カリスマ経営者とは

 会社というものは、もともと誰かの強烈な意志から始まります。
ニデックもまさにそうでした。
永守氏の有名な「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という言葉に象徴されるように、
企業の初期段階では創業者の個性がそのまま会社の個性になります。
むしろそれがなければ会社は立ち上がりません。

ところが、企業が大きくなると話は変わります。
創業者のカリスマで引っ張るフェーズから、
組織として自律するフェーズへ移らなければならない。
ここが企業経営の最も難しいところです。
創業者の強さが会社の強さだったはずなのに、
その強さが次の成長の制約になることもあるからです。
永守氏はこれまで何度も退任と復帰を繰り返してきました。
これは優柔不断というより、創業者に特有のジレンマでしょう。
自分が作った会社ほど、手放すのは難しい。

しかし、企業が長く続くためには、創業者の手を離れる瞬間もまた必要です。
企業経営とは不思議なものです。最初は「個人の物語」で始まるのに、
最終的には「組織の物語」へと移行しなければならない。
永守氏の退任は、ニデックという会社が
まさにその転換点に差し掛かっていることを示しているのかもしれません。
創業者のカリスマで伸びた会社が、その後も強い会社であり続けるのか。
それとも創業者とともに輝きを失うのか。企業の本当の実力は、
むしろ創業者がいなくなってから試されるのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.09

不動産取得税の改正について雑感

不動産取得税が53年ぶりに見直されるというニュースがありました。
普通の人は「税金が変わるのか」で終わります。しかし不動産営業の目線では、
ここで見るべきポイントは別のところにあります。税金というのは、国のメッセージです。
何を増やしたいのか、何を減らしたいのか。税制を見ると、その意図が透けて見えます。
これまでの日本の住宅政策は、はっきり言えば「新築中心」でした。
住宅ローン減税も、補助金も、税制も、新しい家を建てる方向に強く働いてきました。
高度成長期ならそれで良かったのです。家が足りなかったからです。

ところが今は違います。家は足りないどころか余っています。空き家は増え、
人口は減り、地方では住宅が市場に出ても買い手がつかない。
そんな時代に入っています。今回の取得税の見直しは、
税率が劇的に変わるという話ではありません。
むしろ制度の「メンテナンス」に近いものです。ただ、その背景にある問題意識ははっきりしています。

不動産市場をどう回していくのか。新築だけではなく、中古住宅や既存ストックをどう活かすのか。
営業の現場でお客様に伝えるなら、こういう話になります。
「税金の制度が動くということは、市場も動く可能性があるということです」。
不動産はタイミングの商売です。税制が変わると、人の心理が変わります。
人の心理が変わると、市場が動きます。税金のニュースをただの制度変更として聞くか。
それとも市場の変化のサインとして読むか。この差が、営業の差になるのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.08

国際女性デーに思うこと

 今日三月八日は、国際女性デーです。ニュースでは毎年のように、
「女性の活躍」や「ジェンダー平等」という言葉が並びます。
社会にとって大切なテーマであることは間違いありません。
ただ、少しだけ別の角度から考えてみたくなります。

たとえば「女性初の〇〇」という言葉です。
女性の進出を祝う意味で使われる言葉ですが、
私はそろそろ、この言葉を死語にしてもよいのではないか、
そんなことを思うようになりました。

なぜなら、本来は性別で区切る必要のない話だからです。
「初めての女性大臣」「女性初の社長」「女性初の学長」。
確かに歴史的な意味はあります。
しかし、その言葉が使われ続ける限り、
どこかに「本来は違う」という前提が残ってしまう気もします。
社会の常識は、気づかないうちに変わります。
昔は特別だったことが、いつの間にか普通になります。

もし本当に男女が自然に社会を担うようになれば、
「女性初」という言葉自体が必要なくなるはずです。
国際女性デーは、女性を特別に称える日というより、
社会の当たり前を静かに見直す日なのかもしれません。
本当に目指すべき姿は、女性が活躍する社会というより、
活躍している人を、ただその人として見る社会でしょう。
そんな社会になったとき、「女性初」という言葉は、
きっと役目を終えています。そしてそれは、決して残念なことではなく、
むしろ社会が一歩成熟した証なのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.07

卒業シーズンで浮かぶ歌は?

 三月になると、街の空気が少しだけやわらぎます。

寒さはまだ残っているのに、どこか浮き足立ったような空気。
駅のホームやコンビニで、制服姿の学生を見かけると、
ああ卒業の季節だなと思います。

この時期になると、ふと頭の中に流れてくる歌があります。
人それぞれ違うのでしょうが、私の場合はユーミン。
特別に好きだったわけでもないのに、
なぜかこの季節になると、思い出したように口ずさんでしまうのです。
不思議なものです。

当時は歌詞の意味など深く考えもしなかったのに、
年月がたつと、言葉のひとつひとつが妙に胸にしみたりします。
卒業という言葉には、少しだけさびしい響きがあります。

けれど実際の人生を振り返ってみると、
人は何度も小さな卒業を繰り返して生きているのかもしれません。
学校だけではありません。職場、住まい、人間関係。
気がつけば、いくつもの場所から静かに卒業してきました。
だからでしょうか、卒業ソングを聴くと、学生時代そのものよりも、
その後に歩いてきた時間まで一緒に思い出されます。

誰にでも一曲くらい、三月になると自然に浮かんでくる歌があるのではないでしょうか。
その歌はきっと、その人が通り過ぎてきた季節のしるしなのだと思います。
さて、あなたの卒業シーズンの歌は何でしょうか。
少し立ち止まって思い出してみるのも、この季節の楽しみかもしれません。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.06

あなたは何を卒業しますか?

 卒業シーズンになると、毎年のように「旅立ち」という
言葉があちこちで聞かれるようになります。けれども、
私はこの時期になると、少し違うことを考えます。
卒業というのは、実はそれほど大きな出来事ではないの
ではないか、ということです。もちろん当人にとっては
区切りでしょう。しかし、人生という長い時間軸で見れば、
単なる通過点にすぎません。

学校を卒業したからといって、急に何かができるように
なるわけではありませんし、逆に学生の肩書が取れたか
らといって、昨日までの自分が消えるわけでもありませ
ん。人は、そんなに劇的には変わらないのです。
むしろ大事なのは、卒業のあとです。多くの人はここで
「新しい自分になろう」とします。ですが、だいたい長
続きしません。人間は決意では変わらないからです。

変わるとすれば、日々の行動の積み重ねだけです。派手
な節目よりも、地味な習慣の方がはるかに強い。これは
ビジネスでも人生でも同じです。
だから私は、卒業シーズンを見るたびに思います。
大切なのは、卒業式のその日ではありません。むしろ
その次の日の、何でもない一日です。
拍手も祝辞もない普通の日に、何をするのか。
そこに、その人の本当の物語が始まるのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.05

企業の私物化

 ニデック社の永守氏が退きました。

すると決まって出てくるのが「企業の私物化」という言葉です。
私はこの言葉があまり好きではありません。
なぜなら、ほとんどの場合、結果論だからです。

創業者が猛烈に会社を引っ張っている間、
誰もそれを私物化とは呼ばない。
むしろ「強いリーダーシップ」と称賛する。
業績が伸び、株価が上がり、雇用が増える限り、カリスマは正義です。

ところが、少しでも歯車が軋むと途端に評価が反転する。
あれは独裁だったのではないか?と。

でも、考えてみますと、創業者経営とは、そもそも“私”から始まるものです。
ビジョンも、執念も、違和感も、全部が個人に紐づいている。
その強度があるからこそ、その他大勢では見えない景色が見える。

問題は私物化かどうかではありません。
「個人の論理」が「組織の論理」に翻訳されているかどうかです。

強烈な創業者はアクセルです。
会社が大きくなるほど必要なのはブレーキとハンドルです。
アクセルを否定するのは簡単ですが、
それではそもそも走らなかったかもしれない。

退任とは、創業者の物語の終わりではありません。
その思想が制度に埋め込まれているかどうかの答え合わせです。
永守氏の退任を、私物化の是非で語るのは表層的です。

本質はもっとシンプルです。「この会社は、創業者を超えられるか。」
企業とは、人格です。その人格が一人の人間の延長線上にあるのか、
それとも時間を超えて持続するのか。そこにしか、経営の面白さはありません。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.04

戦争はただの自己を守るめくらましなのか?

トランプ大統領が、イランを攻撃しました。
するとすぐに出てくるのがこの物語です。

「内政の不利をそらすための戦争ではないか。」

この手の説明は、実に分かりやすいです。
分かりやすいということは、大抵の場合、単純すぎるということです。
そう、確かに前例がございます。

ビル・クリントン大統領が弾劾問題の最中に、軍事行動を取ったとき、
「目くらましだ」という批判が噴き出しました。いわゆる“逸らし戦争”仮説です。

でも、仮説は仮説に過ぎない。
タイミングが重なったことと、因果関係があることは別問題です。

そもそもイラン問題は突発的なテーマではない。
核開発、革命防衛隊、中東の勢力均衡。
何十年も続く地政学の構造問題です。

これを「スキャンダル隠し」で説明するのは、
複雑な数式を四則演算で解こうとするようなものです。
さらに言えば、戦争はコスパが悪い。

株価は揺れ、原油は跳ね、議会は騒ぎ、同盟国は神経質になる。
支持率が必ず上がる保証などどこにもない。リスクが高すぎる。

では動機は何か。
トランプという政治家は一貫して「強さ」を売り物にしています。
対外強硬姿勢はスキャンダル対応ではなく、ブランド戦略の中核です。

アクセルを踏むのがデフォルト。ブレーキはない。
だから、問いの立て方を間違えると、本質を見失います。
「スキャンダル隠しか?」ではない。

そこで問うべきは、この軍事行動は、長期戦略に整合しているのか。
外交は感情ではなく、ポジション取りです。
一発の空爆より重要なのは、その後の均衡です。
物語で政治を見ると、理解した気になります。

しかし国家はドラマで動いていない。利害で動いている。
単純な陰謀論は気持ちがいい。

ですが現実は、もっと退屈で、もっと冷酷です。
そこにこそ、分析の余地があるのではないでしょうか。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.02

京アニ

偶々お昼に、お客様宅で会話しているときに、
京アニの話題になりました。
 
それは、2019年のあの日から、時間は確実に流れているはずなのに、
心のどこかは止まったままだという人も少なくないでしょう。

その中心にいたのが、京都アニメーションを率いてきた八田英明氏でした。
京アニという会社は、規模で勝つ会社ではありませんでした。

作品数を量産するわけでもない。むしろ逆です。
一本一本を、手間暇をかけて磨き上げる。
まるで工芸品のように、アニメーションを作る。
そこに徹するという戦略でした。

2019年の放火事件は、会社から多くの才能と未来を奪いました。
しかしその後の京アニは、被害者であることに寄りかからなかった。
静かに、しかし確実に制作を再開し、作品を世に送り出した。

その姿勢こそが、企業としての本質を物語っています。
企業の価値は、ヒット作の数ではありません。
逆境に置かれたときに、何を守るかです。

京アニは「作り手を守る」ことを選びました。
下請け構造に依存せず、正社員中心で育てる。
効率よりも蓄積を重んじる、この非効率に見える選択が、
他社には真似できない独自性を生んだのです。

八田社長の死去は、一つの時代の終わりかもしれません。
しかし、京アニという会社が体現してきた思想は、
作品の中に、組織の中に、確かに残っています。

戦略とは、ポジショニングではなく「やらないこと」を決めることだと言われます。
京アニは、安易な拡大をやらなかった。
スピード優先をやらなかった。その代わりに、信頼を積み重ねた。

企業とは人格です。リーダーがいなくなっても、
その人格が残るかどうか。それが本当の経営の評価でしょう。
静かな強さとは何か。
京アニの歩みは、その問いへの一つの答えを示しているように思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。