アキバのつぶやき

2025年10月

2025.10.31

検索から指示の時代へ

 昔の営業マンは、とにかく情報を“探す”のが仕事でした。物件情報を検索して、相場を調べて、売主や買主に数字を示す。情報をどれだけ持っているかが「信頼」につながっていました。
 
 けれど、今の時代は違います。AIがあっという間に相場を出してくれるし、過去の成約事例もワンクリックで一覧化できますつまり、「調べる」ことで差はつかなくなったのです。という事は、我々零細不動産業者にとってはありがたいことです。

 では、営業マンの価値はどこにあるのでしょうか。それが「指示する力」なんです。

 AIに向かって「この物件を20代の共働き夫婦向けに、温かみのあるトーンで紹介文を作って」と伝えれば、すぐに文章が出てきます。でも、その“指示”を出すには、お客様像を具体的にイメージできているかが問われます。
 
 AIは検索の天才ですが、目的を設定するのは人間の仕事です。つまり、「どんな未来をこの提案で実現したいのか」を言葉にできる人こそ、これからの営業マンに必要な力を持っている。

 たとえば、売主から「早く売ってほしい」と頼まれたとき。昔なら「周辺の相場を調べて、少し安めに設定しましょう」と提案して終わりでした。でも今は、「どんな買主に、どんな暮らしを届けたいか」を考えるところから始まります。
 
 AIは検索を代わりにしてくれます。だからこそ、営業マンは「考える人」になる。情報を集めるよりも、「この情報をどう使うか」を設計する。「検索する時代」では、知識量が武器でした。「指示する時代」では、構想力が武器になります。どんな家をどんな人に勧めたいのか。どんな暮らしを描いてもらいたいのか。その絵を描ける営業マンが、AI時代に最も信頼される人になるのではないでしょうか。

 私たちはいま、検索の先に立っている。“調べる営業”から、“導く営業”へ。この変化を恐れるのではなく、楽しむ。
それが、これからの不動産営業マンの「生き方」だと思います。

2025.10.28

不動産営業のリアリズム

 「ラプラスの悪魔」という概念があります。

18世紀の数学者ラプラスが唱えたもので、もし宇宙に存在するすべての粒子の位置と運動を完全に知る知性がいたなら、その存在は過去も未来もすべて予測できるという考え方です。
 一見、理想的です。
 すべての情報がわかれば、間違いのない判断ができる。つまり「この土地は上がる」「この地域は下がる」と未来を先読みできるということです。営業マン、不動産投資家にとっては、夢のような話です。
 
 しかし、現実はまるで違います。
どんなにデータを集めても、人の心や経済の流れはは予測できません。昨日、日本の株価が初の5万円台を突破しました。予測できた人はどれだけの人が自信を持って言えるのでしょう。
 
 金利が動けば買い手の心理が変わり、ひとつの事故物件報道で地域の印象が揺らぐ。SNSの口コミひとつで街の価値が変わることさえある。まさに“不確実性”が前提の世界です。
 
 だからこそ、営業の本質は「コントロールできること」と「できないこと」を見極める力にあります。
相場や景気は変えられない。しかし、顧客に誠実でいること、地域を丁寧に観察すること、約束を守ること。これらは自分で選べる行動です。そこにこそ、成果の構造があるのです。

 楠木建さんは、よく「ストーリーとしての競争戦略」という著書の中で次のようなことを言っています。
 戦略とは、結果を当てることではなく、「なぜこのやり方で勝てるのか」という物語を積み上げること。不動産営業も同じで、顧客にとって“この人から買いたい””この人に売却を任せよう”と思われる関係を築けるかどうかが、すべての基盤になります。
 
 ラプラスの悪魔のように未来を読み切ることはできません。
でも、「わからない中で、どう動くか」を考える力が人間の強みです。

 市場を読むより、人を読む。未来を当てるより、信頼を積む。それが、不確実な時代を生きる不動産営業マンのリアリズムではないでしょうか。

2025.10.27

ヒッチハイクで目的地にいち早くたどり着くには?

 過去に、ある企業の面接試験で、こんな質問が出たといいます。

「ヒッチハイクで目的地にいち早くたどり着くには?」
 一見、雑談のような問いに思えますが、実は不動産ビジネスの核心を突いていると感じました。
 
 多くの営業マンなら、「大きなボードを掲げる」「身なりを整える」「笑顔を絶やさない」など、目立つ・感じのいいアプローチを思いつくでしょう。しかし、それは“どうやって止まってもらうか”という方法論の話にすぎません。

 ところが、次のように答えたとしたらどうでしょう。「目的地に向かう車を選びます」。
この一言は、経営や営業のエッセンスがあるように思います。どんなに愛想よく手を振っても、行き先の違う車に乗れば遠回りになります。つまり、努力の問題ではなく、「構造」、「方向性」の問題です。努力は嘘はつかないと処世訓でよく聞きますが、そこには「正しい努力」が、隠れています。
 
 不動産営業でもまったく同じだと思います。
どんなに誠実で、どんなに頑張っても、そもそも「購入する気持ちのない顧客」、「売却する気持ちのない所有者様」や「自社の経営資源・営業の技量に合わない案件」に注力していては、成果につながりません。
 
 限られた時間とエネルギーを、”行き先の合う顧客(=目的地の同じ車)”に集中させること。これが、成果を早く出すための、本当の近道だと思うのです。それこそが、見えない力のひとつである、”洞察力”が大切になります。
 
 「ヒッチハイクで早く着く方法」を「どう立つか」「どうアピールするか」と考える人は多い。ですが、優れた営業は、「どの車が正しいか」を先に見抜く。
見極めの力こそ、スピードの源泉と思考するのでしょう。

 そして、その車が見つかれば、どうすれば同乗させてもらえるかという戦術に移ります。それには、まず何をおいても、「私は善良な人間です、安心してください」という信頼構築が、一丁目一番地の戦術です。
 
 さらに言えば、目的地の定義を間違えてはいけません。
“売ること”が目的になってしまえば、短期的には数字が立ちますが、信頼という長距離は走れません。“お客様の人生にとってベストな住まいを導くこと”が目的であるなら、車の選び方も変わってきます。

 ヒッチハイクも不動産ビジネスも、結局は「どの方向に、誰と走るか」がポイントとなります。
営業の本質としては、足を速く多く動かすことではなく、正しい車に乗る洞察力・判断力にあるのではないかと最近強く感じます。

2025.10.26

青の季節に立つ、高市新首相と霜降の思考

 少し前の23日は、二十四節気の「霜降(そうこう)」。秋がいよいよ深まり、夜明けの大地に霜が降り始める頃を指すとあります。気温の低下とともに空気が澄み、景色の輪郭がくっきりと浮かび上がる時期です。昔の人はこの現象を「青女(せいじょ)」。冷気を司る女神の仕業と呼んだそうです。自然界の「青」が最も冴え渡るこの時節に、日本の政治にもまた一人の「青」が立ちました。

 そうです、高市新首相です。日本の憲政初の女性首相です。

 高市氏のトレードマークは、鉄の女、サッチャー女史を倣った、深い青の勝負服です。
この「青」という色は、不思議な象徴性を持ちます。情熱の赤とは対極にありながら、信念を内に秘める。感情ではなく理性、熱狂ではなく冷静。霜降の空気が澄むように、青は混じり気を許しません。青は、見せかけの華やかさよりも、芯の強さと透明な誠実さを語る色です。

 政治の世界はしばしば「熱」でものが動きます。声の大きい者が注目を集め、感情が波のように世論を動かすように。
ですが本来、国を動かすとは「熱」よりも「冷」に近い行為ではないでしょうか。冷静な判断、論理的な構想、そして長期の視点を持つこと。言うなれば、「霜降の思考」が必要とされます。
 
 高市首相がこの「霜降」の時期に青をまとうのは、偶然ではない気がしてなりません。政治的な駆け引きの熱気が渦巻く中でも、あえて冷静さを保つ姿勢。それは、情勢を凍らせる冷たさではなく、余分な熱を取り除き、物事の本質を際立たせる冷たさです。霜が朝日に溶けるとき、そこに新しい季節の兆しが見えるように。
 
 お許しを頂き、不動産ビジネスに置き換えるなら、この“青の思考”は経営にも通じます。短期の売上に一喜一憂する「熱」の経営ではなく、環境の変化を冷静に見通し、地域の未来を描く「冷」の経営。「青女」がもたらす冷気のように、余分な感情や焦燥を取り除くことで、次の芽が静かに育ちはじめる。
 
 霜降の朝、青の勝負服に身を包む首相の姿は、「冷たく、そして強く、まっすぐに生きる」ことの象徴に見えます。青は、決して冷酷ではない。むしろ、未来に誠実であろうとする意志の色なのです。

 だからわたくしも、紺のスーツに紺のネクタイという青色スタイルを第一として、お客様とご面談していきます。

2025.10.25

遺伝子検査

 先日、気になるビジネスマンのブログの中で、「ビジネスにおいて、気力は非常に重要な資源です。そこで、自分の現状を科学的に把握するため、先日、遺伝子検査を受けました。現状を知ることができれば、改善に向けた打ち手を講じることができると考えたためです。」とありました。

 その結果について、AIに分析してもらったようです。思考の傾向や、体質の傾向など、それとなく腑に落ちる回答で、まるで、自分の一生が数ページの報告書にまとめられたみたいだったとの事。
 
 便利な時代になったものですね。スマホひとつで自分のDNAを知ることができる。でも、人はどこまで自分のことを知るべきなのだろ。知ることで安心することもある。でも、知らないままのほうが、心が穏やかなこともあります。
 
 そのブログを読んでみて、少し興味がわいてきたので検査を受けてみようかと思いました。だけれど、結果を見て自分だったらどう感じるかを想像したら、その封筒を開ける勇気が出てこない自分の姿が浮かび上がってきました。

 「あなたはこの病気のリスクがあります」と書かれていたら、私はきっと、その言葉を頭の中で何度も読み返してしまうだろう。人は思っているほど、強くない。でも、だからこそ、未来をすべて知る必要もないのかもしれません。

 遺伝子検査は、確かにすごい技術です。でも、それは地図のようなもの。地図を持っていても、どの道を歩くかは自分で決めます。坂道を選ぶ人もいれば、寄り道をする人もいる。たとえ遠回りでも、自分の足で歩いた時間にこそ、人生の意味があり、価値あると思うのです。
 
 たぶん、遺伝子が教えてくれるのは、「あなたの可能性」ではなく、「あなたはどう生きたいのか」という問いそのものなのだろう。

2025.10.24

私たちはできる!

 アキバのつぶやきをご購読して頂いている皆様、いま私たちが生活している街は変わろうとしています。人口が減り、暮らしが多様化し、家の形も、働き方も変わりました。でも、ひとつだけ変えてはならないものがあります。それは、「この街を、どうしたいのか」という私たちの価値観です。
 
 不動産ビジネスとは、土地や建物を扱う仕事に見えます。けれど、本質は人の人生を支える仕事です。家は商品ではなく、暮らしの器です。街は投資の対象ではなく、未来を託す場所です。
 
 私は、ある古い家を所有しているご婦人が住まわれている、老人ホームの施設を訪ねた日のことを覚えています。80歳を過ぎても、かくしゃくとされているご婦人が、今は亡き夫と、初めて立てた家を、手放す決心を固められていました。「思い出が詰まっているから、ただ売るだけでは悲しいね」と。
 
 その後、私たちはその気持ちに寄り添い、次に住む若い家族との橋渡しをしました。引き渡しの日、ご婦人は最後にもう一度、その家を見に行きますと、ご子息様の車に乗り、決済場所の銀行をあとにされました。

 ある書類の確認のために、施設に訪問した時のことです。「本当は、長男に、そして孫に住んでもらいたかった」と。その瞬間、私は気づきました。不動産ビジネスとは、“取引”ではなく、“継承”なのだと。経営・営業とは、“売り上げという数字”ではなく、“物語”なのだと。

 私たちは問われています。

どれだけ早く売るか。ではなく、どれだけ深く信頼されるか。どれだけ多く取るか。ではなく、どれだけ残せるか。
 
 答えは明らかです。
変化の時代だからこそ、価値観に従う。売り上げという数字の前に、人の心を見つめる。効率の前に、誠実を貫く。

 そして私は信じています。

 人の思いをつなぐ不動産会社こそ、この街の未来をつくる力になる。
そう、オバマ元大統領ではございませんが、“Yes, we can.”
 
 私たちアキバホームは、街と人の希望を紡ぐことができるのです。

2025.10.23

新首相誕生と、「着眼大局 着手小局」

 新しいリーダーの誕生には、いつの時代も「期待」と「不安」が入り混じります。今回、高市新首相の就任も例外ではありません。政策論や人事の是非といった短期的な話題はメディアが扱うでしょうが、経営や組織運営の観点から見れば、注目すべきは「リーダーとしての構え」にあります。

 中国の故事に「着眼大局、着手小局」という言葉があります。大局を見据えて物事の本質を捉えながら、実際の行動は小さなところから積み上げていく。経営者にも政治家にも通じる、極めて本質的な考え方です。
 
 国家運営における「大局」とは、たとえば人口減少・安全保障・技術革新といった長期的な変化の潮流です。これらを見誤ると、いくら小手先の政策を積み重ねても全体は崩れます。一方で、抽象的な理想ばかり語っても、現実の行政や地域の課題は動きません。つまり、リーダーには「遠くを見ながら、足元を整える」という二重の視点が求められるのです。
 
 高市首相はこれまで、強い国家観と現実的な行政手腕を併せ持つ政治家として知られてきました。理想論に傾かず、具体論に逃げず。まさに「大局を見据え、小局に着手する」姿勢が問われる局面です。特に地方経済の再構築や、技術立国としての再定義といったテーマでは、国全体の方向性を描きながら、現場で動く中小企業や自治体に具体的な支援を落とし込むことが鍵になるでしょう。
 
 この「着眼大局、着手小局」という考え方は、私たちビジネスの現場にもそのまま当てはまります。戦略を立てるとき、どうしても「短期の数字」や「手近な課題」に意識が行きがちです。しかし、リーダーに求められるのは、目先の成果よりも「方向性の正しさ」です。そして、方向が正しいなら、日々の小さな改善や試行錯誤が確実に積み上がっていきます。
 
 政治における「国家の舵取り」も、企業における「事業の舵取り」も、求められる資質は意外なほど似ています。大局に目を凝らし、小局に手を動かす。この両輪が噛み合ったときに、組織も社会も前に進むのだと思います。

 新しい日本国のリーダー誕生をきっかけに、私たち自身も「自社の大局とは何か」「今日、どの小局に着手するのか」を改めて見つめ直すときではないでしょうか。

2025.10.20

正解を求めるより、良い問いを育てる

 人生には、これだという正解はありません。これはビジネスにもまったく同じことが言えます。どんなに優れた営業トークでも、すべての顧客に通じる“正解”は存在しません。だからこそ、私たち不動産営業の仕事は「正しい答えを出す」ことではなく、「正しい問いを立てる」ことから始まるのだと思います。

 お客様と向き合うとき、つい「この物件をどう勧めるか」という視点に立ちがちです。けれども、本当に大切なのは「なぜそのお客様が家を求めているのか」「何を叶えたいと思っているのか」という問いを立てることが大切です。この“なぜ”を掘り下げることができれば、会話の質が一気に変わります。単なる物件紹介が、人生設計の対話へと変わるのです。
 
 例えば、「駅から近い家がいい」と、お客様から言われたとき、それをそのまま条件として受け取るのではなく、「なぜ駅近がいいのか」と尋ねてみる。そこには、通勤の利便性だけでなく、家族との時間を少しでも増やしたいという思いが隠れているかもしれません。その“思い”に触れたとき、私たちは初めて本当の提案ができるようになります。
 
 営業という仕事は、相手の心の中にある“まだ言葉になっていない願い”を引き出す営みです。すなわち、”言語化力”を養うことは、これからの営業パーソンに必要なスキルの一つとなります。そのためには、正解を押しつけるのではなく、良い問いを差し出すことが求められます。問いとは、相手の思考を深めるためのきっかけであり、信頼を築くための最初の一歩でもあるのです。
 
 人生と同じように、住まい選びにも唯一の答えはありません。あるのは、それぞれの人の「納得のかたち」です。その納得にたどり着くために、私たちは答えを語るよりも、問いを重ねるべきなのだと思います。
 
 正解を求める営業から、問いを立てる営業へ。そこにこそ、長く信頼されるプロフェッショナルとしての道があるのではないでしょうか。

2025.10.19

国民総株主と従業員を資本家に

 前澤友作氏の新事業「国民総株主」というコンセプトをもって立ち上げた、株式会社カブ&ピースをご存知でしょうか?私は、設立と同時にサービスに申し込みをしました。電気ガス料金を従来の会社からカブ&ピース社に替えたのです。
 
 切り替えに際し、面倒な手続きも必要なく、今もトラブルもなく満足はしています。多くあるのはポイントが付与されるサービスが多いのでしょうが、このサービスは利用者に、株式の上場を果たした時に、利用者に株を提供するという事業モデルです。今までにないモデルだと共感したのが第一です。もちろん、上場できないというリスクは存在しますが、それは自分にとってリスクというほどのものではないと感じたので、躊躇なく申し込みをしました。

 このサービスは一見すると“資本主義の民主化”という理想を掲げているように見えます。同時に、日経新聞が報じた「従業員を資本家に」という企業の姿勢とも重なります。これまでの「資本と労働の分断」を超える新しい企業像を提示しているかのようです。
 
 でも、「それは“理念”としては面白いが、ビジネスとしての構造がどこにあるのかを見極める必要がある。」と思います。つまり、「誰がリスクを取り、誰がリターンを得るのか」という仕組みを冷静に見る視点が必要。その構造を無視して理念だけを語ると、経営はたちまち“美辞麗句の装置”になってしまうということです。
 
 たとえば「従業員持ち株制度」。表面的には“従業員が企業のオーナーシップを持つ”という、聞こえの良い制度です。しかし実態としては、賃上げの代替策、すなわち“報酬の先送り”という構造をもっています。「給与で払うと経費になるが、株で持たせれば支出を繰り延べられる」。これが経営の合理です。この合理性を否定する必要はありませんが、それを「共感経営」や「分かち合い」と言い換えてしまうと、話が違ってきます。

 「言葉の美化が、経営のリアリティを曇らせる」ということになるのではないでしょうか?株を持たせたところで、株価を上げる意思決定には、現場の社員が関与できない構造は変わりません。それなのに「あなたもオーナーです」と言われても、それは“気分としての資本家”に過ぎません。ここにあるのは、「所有」と「経営」の分断ではなく、「責任」と「報酬」の分断です。

 一方で、前澤氏の「国民総株主」という発想は、その分断を社会レベルで溶かそうとする試みでもあります。株主という言葉を“金融”の文脈から“社会参加”の文脈に移し替えようとしている。この発想は、「好きなことに一生懸命」型の思考です。つまり、“合理性と情熱の一致”を目指す方向にあるように思えます。
ただ、「構想は自由だが、経営は構造である。」

 理念を現実にするには、“誰がどのようにリスクを取るか”の設計がすべてです。国民総株主というのは、「国民全員にリスクを分散する仕組み」なのか、「リスクを見えなくする装置」なのか。この線引きこそ、ビジネスの生命線です。

 要するに、「従業員を資本家に」「国民を株主に」という発想は、資本主義の“分配”ではなく“責任”の問題と思うのです。お金をどう分けるかよりも、リスクと判断の重みをどう共有するか。

 そこに本当の“経営の物語”を見るのではないでしょうか?

2025.10.18

早朝のウォーキングと金木星の香り

 朝の空気には、理屈抜きの説得力がございます。特に、今の季節。秋の入口に差しかかるこの時期は、早朝のウォーキングをしていると、肌を撫でる風が「今日も動き出そう」と背中を押してくれる感じがします。しばらく暑さにカマかけて、ウォーキングをしていませんでした。ところが、三日前からなぜか、気分がウォーキングへと駆り立てました。そして、街路樹の間から漂ってくる金木犀の香りは、その背中をさらにそっと押す“追い風”のようなものです。

 この香りには、妙に人を前向きにする力があると感じませんか?香水のように人工的ではなく、ふっと気づくと、どこからか漂ってきます。なんともその控えめな主張の仕方に、私はいつも“良い仕事”の本質を感じる。成果を誇るのではなく、空気のように場に溶け込みながら、確かに人の心に働きかけている感じです。

 ビジネスの世界では「見える成果」が重視されます。しかし本当に価値を生むのは、数字では測れない“におい”のような部分です。信頼、雰囲気、安心感。それらは金木犀の香りと同じく、目には見えませんが、確かに存在し、人の心を動かします。

 早朝のウォーキングは、自分の思考を整える最良の時間だとあらためて感じます。スマホも会議もない。世界がまだ目を覚ます前に、静かに自分と向き合える。その中で漂う金木犀の香りが、「急がなくてもいいぞ!」と語りかけてきます。スピードや効率を追うだけが前進ではない。しばし立ち止まり、考えることもまた、前に進むための重要な一歩なのです。
 
 仕事でも人生でも、成果を急ぐあまり、「香りのない行動」をしていないだろうか。金木犀のように、控えめでありながら、確かに周囲に良い影響を与える存在。そんな“香りのある働き方”をしたいと思います。
 
 ウォーキングを終えて振り返ると、金木犀の木が朝陽を受けて黄金色に光っていました。あの香りのように、静かに、しかし確実に誰かの一日を豊かにする、そんな仕事をしていきたい。