アキバのつぶやき

2025年10月

2025.10.06

ローマ帝国に学ぶ「見たくない現実」のマネジメント

 「人は見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞く。」
この言葉は、ローマ帝国の時代から言われてきた人間の本質を突く洞察です。メルセデスが欲しいと思うと、街中で走っているベンツが目に付く。
 
 哲学者セネカやマルクス・アウレリウスのようなストア派の賢人たちは、「人は事実によってではなく、それをどう解釈するかによって苦しむ」と語りました。つまり、人は現実をそのまま見ているようで、実は自分のフィルターを通してしか見ていないのです。

 現代に生きる私たちも、この「選択的知覚」の罠から逃れられません。
ニュースやSNS、会議での報告などあらゆる場面で、自分が“信じたい情報”ばかりを集め、“耳の痛い現実”は見ないようにしている。これは個人の問題であると同時に、組織にも深く根を張る構造的な現象です。

 経営の現場を見ても同じです。業績が好調なときほど、警告のサインは見えにくくなります。顧客のクレームは「一部の声」として処理され、現場の異変は「杞憂」として片づけられる。ローマ帝国の市民が政治の腐敗を見過ごしたように、組織もまた、自らの“都合のよい現実”を信じたまま衰退していくのです。

 現代のSNSアルゴリズムは、まさにこの人間の傾向を増幅します。自分が“見たいもの”ばかりが流れてくる仕組み。心地いいですが、確実に世界は狭くなります。経営者が同じ構図に陥ると、報告や提案が「上司に気に入られる内容」に偏り、組織全体が“情報の密室”になります。

 経営とは、見たくない現実を直視する勇気の連続です。数字の裏に隠れた変化、沈黙している社員の声。そこにこそ、未来のヒントが眠っています。

 ローマ帝国が滅びたのは、外敵に攻め込まれたからではなく、自分たちが現実を見なくなったからだと言われます。見たいものしか見ない組織は、ゆっくりと自らを衰退させていくのです。これは、個人でも言えます。自分の実力の無さを直視せず、ただ自己弁護と、詭弁を繰り返し、謝罪をしない。常に嘘をつき、虚勢を張ってその場をやり過ごすことに思考をめぐらす。


 結局のところ、「見たいものしか見ない」というのは人間の自然な姿です。しかし、経営とはその自然を超える営み。見たくない現実こそが、次の成長をつくる。視野を広げるというのは、戦略以前に“姿勢”の問題なのです。

2025.10.05

利益は目的か、それとも条件か?

 企業経営を考えるとき、必ずといっていいほど議論になるのが「売上か、利益か」という問いです。多くの企業は売上を追います。理由はシンプルで、分かりやすく、成長を示すシグナルになりやすいからです。しかし、売上の大きさだけでは企業の持続性を保証しません。

 そこで「税引き後利益を目標にすべきではないか」という考えが出てきます。確かに、最終的に株主や経営者が自由に活用できる資源は税引き後利益に集約されます。投資を続け、組織を存続させるために、この数字を重視するのは合理的に見えます。

 しかし、ここで重要なのは「目的」と「指標」を混同しないことです。利益を目標にすることは正しいかもしれません。ですが、それを企業の存在目的と取り違えると本末転倒になります。企業の目的は顧客価値の創造にあります。そして、利益はその結果として生まれる成果であり、活動を持続させるための“条件”なのです。

 この点をドラッカーは明快に表現しました。「利益は目的ではなく条件である」と。人間の身体にたとえれば、利益は血液にあたります。血液がなければ生きていけません。しかし「生きる目的は血をつくることだ」と言ってしまえば、それは生命の本質を見誤ることになります。企業も同じです。

 翻って、不動産営業の現場に置き換えてみましょう。目の前のお客様にとって最適な住まいを提案し、納得感を持って契約していただくことが営業の目的です。そこで初めて成果としての利益が残る。利益を最優先に置いてしまえば、顧客との信頼関係は崩れ、長期的には組織の持続可能性が失われます。

 結論としましては、税引き後利益を企業活動の「最終的な成果を測るモノサシ」として据えることは正しい。ですが、それを企業の「目的」として掲げるのは誤りです。

 ミッションは顧客価値の創造、ビジョンはその延長にある未来像。利益はそれを続けるための条件。ただそれに過ぎない。ここを峻別できるかどうかが、経営の本質を捉える分水嶺なのだと思うのです。

2025.10.04

「好きこそものの上手なれ」の限界と不動産営業

 「好きこそものの上手なれ」ということわざは、茶道や芸術のように自分の内側で深めていく営みにおいては説得力があります。好きで没入し続ければ自然に上達する。しかし、投資やトレードのように相手が存在するマーケットでは必ずしも通用しません。努力や情熱がそのまま成果に直結するわけではない。スポーツも同じです。どれだけ練習を重ねても必ず勝てる保証はないのです。

 不動産営業も、この「相手がいる世界」の典型です。営業マンの中には「物件が好き」「人と話すのが楽しい」という理由で仕事を続けている人が多い。しかし、その「好き」が成果に変わるかどうかは別問題です。例えば、こちらが完璧だと思える物件を自信満々に紹介しても、お客様が「駅から遠い」と一言で却下すれば、努力は水泡に帰します。逆に、自分では大したことのない提案だと思っていたのに、お客様が「それならイメージに合う」と、興味を示されることもあります。
 
 価格交渉の場面でも同じです。営業マンとしては「ここが限界」と考えて提示した条件が、お客様には響かない。ところが、数字よりも「子どもの通学に安心か」という一言に気を配っただけで、一気に心が動くこともあります。つまり、成果を決めるのは「自分の好き」や「努力の量」ではなく、相手の思いに反応するという構造なのです。

 だからこそ不動産営業に必要なのは、「自己完結的な努力」ではなく、「相互作用的な学習」です。今日はなぜ契約に至らなかったのか、どの場面でお客様の表情が変わったのかを丁寧に観察し、次に活かす。好きで没入するだけではなく、相手を通して自分を更新していく。このサイクルを繰り返すことでしか、営業は成果につながりません。

 「好きこそものの上手なれ」は不動産営業でも必要条件です。しかし十分条件ではない。相手がいる世界では、「好き」に加えて、相手とのインタラクションから学び続ける姿勢が不可欠なのです。

2025.10.03

どうすれば、他者の思考の癖を変えられるのか?

 「思考が変われば行動が変わる」これはよく耳にするフレーズです。ですが、「他人の思考を他人が変えることはできない」という現実を考えると、どこかナンセンスに響きます。では、この言葉はまるごと捨てていいのでしょうか?

 私は、ここに少し勘違いがあると思います。 まず、人は他人の思考を“直接”変えることはできません。これは誠にもって真実でしょう。説得しても、論破しても、頭ごなしに押し付けても、人は頑固に抵抗します。「人は自分が思った通りにしか動かない」。営業や組織マネジメントの現場では、これは日常茶飯事です。
 
 けれど、人は「何かのきっかけ」によって、自分の思考を「自発的」に変えることはあります。たとえば、新しい経験をする、別の視点を提示される、心を動かされるような物語を聞く。尊敬する憧れの人が示唆された。いわゆる、メンター効果ですね。そうした外的刺激を通じて「なるほど、そういう考え方もあるのか」と腑に落ちる瞬間が訪れます。
 
 つまり、他人ができるのは「思考を変えること」ではなく、「思考が変わる環境やきっかけを準備或いは用意すること」ではないでしょうか。不動産営業の現場でいうと、「この物件を買いましょう」と、アッピールして押すのではなく、「10年後にご家族がどんな暮らしをしていたいですか?」と問いかけることに近いかとおもいます。。問いや情報を相手に渡すことで、お客様自身が思考をめぐらせ、次の行動につながります。リーダーは教えるのではなく、気づきを与えることが大切だということにつながりますね。
 
 そうなりますと、このことわざを少し修正するなら、こうではないでしょうか。
「自分の思考が変われば、自分の行動は変わる」
 
 これは100%正しいものです。他人の思考を変えるのは困難ですが、自分の思考を変えることは、自覚さえあればいつでも可能です。この自覚を認識するのがまた一つの課題ではあるのですが・・・。

 何はさておき大切なのは、「思考は行動と態度の原因である」という因果の矢印を見失わないことです。そして他人に対しては、その思考変化の“触媒”に、自分がなれるかどうかが勝負だと思います。

 だから、思考が人生を創るという真理を強く心に抱き、謙虚に感謝一念で、仕事に従事していくことが、人生の肝となるのです。

2025.10.02

不動産営業マンが見る「変化の物語」

 国勢調査の前提は、10月1日時点での回答となっています。皆様はすでにご回答されましたでしょうか?
社会や経済の変化、人口動態のシフト、そして地域間格差の拡大。これらは一見、経済学者や政策担当者が語るテーマに思えるかもしれません。けれど、実は住宅を探す一人ひとりにも直結しています。
 不動産営業マンとして日々現場に立っていると、この「大きな流れ」が目の前の物件選びにどうつながっているか、いやでも見えてくるのです。
■ 変化は止まらない
「人口が減る」「地方が衰退する」——こうした言葉はネガティブに響きますが、私にとっては“前提条件”です。止められない流れを嘆いても意味がありません。大事なのは、その流れの中でどんな立地が「残る」かを見極めること。
■ シフトの意味は「理由」
人口動態のシフトは、過去において判然としていることであり偶然ではございません。原因があって起きています。駅前の再開発、子育て支援策、物流拠点の整備。こうした施策や投資の積み重ねが、人を呼び込み、街を変えていきます。営業の現場では、間取りや価格の数字だけでなく、その背後にある「この街が選ばれる理由」を、お客様に伝えるようにしています。
■ 格差は“差別化”の物語
地域間格差の拡大というと「勝ち組・負け組」に聞こえますが、不動産的にいえばこれは“差別化”です。利便性とスピードを求める人には都心部がフィットするし、自然や広さや近隣の人間関係を重視する人には、郊外や地方がフィットします。格差が広がることで、むしろ「選択肢の物語」が豊かになるのです。
■ 不動産営業マンの役割
私たちの役割は、単に物件を紹介することではありません。お客様の「これからの物語」に合う人生と生活を、一緒に探すことです。10年後、20年後も家族が心地よく過ごせる場所かどうか。その判断には、経済や人口の大きな流れを踏まえた“未来の風景”をイメージする力が欠かせません。
結局、不動産選びは未来を当てるゲームではなく、未来を納得して選ぶプロセスではないでしょうか。社会の大きな変化を恐れるのではなく、「自分にとってどんな物語がフィットするか」を一緒に描く。その伴走者になることこそ、私たち営業マンの存在意義だと感じています。

2025.10.02

ボヤキが示すマネジメントの本質

 田中将大投手が200勝を達成したニュースに接すると、楽天時代の恩師・野村克也監督の“ボヤキ”が思い起こされます。野村さんの口癖は、単なる愚痴ではなく「考えさせる問い」でした。問いを与えられた選手は、言葉の奥にある意図を読み解き、自らの頭で考えざるを得ない。その習慣が田中投手の勝負強さを鍛え上げ、長期的な成果へと結実したのです。

 これは不動産営業を率いるリーダーにとっても示唆に富みます。経営者が「売上を上げろ」「数字を達成しろ」と答えを提示するのは容易です。しかし、それでは営業現場に思考の蓄積は生まれません。短期的な成果は出ても、組織は学習しない。経営者の役割は、数字を追いかけること以上に「問いを投げること」にあるのです。

 「なぜこの地域の物件は動きが鈍いのか」「顧客が本当に求めている価値は何か」「我々が提供しているサービスは10年後にも通用するのか」。こうした問いを経営者が投げかけることで、営業マンは単なる販売員から、顧客の未来をデザインするコンサルタントへと変わっていきます。根拠のない訪問を営業マンは、してはいけません。意図をもってお客様宅へ訪問することで、お客様との信頼が構築できると思います。

 マネジメントとは、部下に答えを与えることではなく、問いを通じて考える力を引き出すことです。答えは状況が変わればすぐに陳腐化しますが、問いを立てる力は組織の持続的な資産になります。野村監督がボヤキを武器にしたように、リーダーもまた「考えざるを得ない問い」を組織に仕掛けていく必要があるのではないでしょうか。

 結局のところ、経営とは「問いの質」で決まります。田中投手の200勝が問いの積み重ねの成果であるように、不動産会社の持続的な成長も、リーダーが投げる問いの深さと豊かさにかかっているのです。