アキバのつぶやき
2025年06月
2025.06.06
仏像好きな日本人
先日、奈良国立博物館で開催されている「超 国宝-祈りのかかがやき-」展に行ってきました! 奈良国立博物館の開館130年を記念した特別展です。昨年のちょうど今頃でした。同じ奈良国立博物館で、空海の生誕1250年を記念した展覧会があり、当日チケットを購入するのに、結構な時間並んだことがあったので、今回は事前に購入してサクッと入館しようと思いきや!! なんとなんと、事前購入者も長蛇の列です。並ぶことが性に合わないのか、一瞬帰ろうかと思いましたが、会期も6月15日までですので、いつ来てもこんな状況だろうと諦め、最後尾まで歩きました。ところどころに日影があるものの、日差しもきつく汗ばみました。結局、入館するのに約45分かかりました。
公式サイトによると、特に午前中から午後3時ごろは混雑が予想されるとのこと。夕方の時間帯を利用したり、チケットを事前に購入するのがおすすめとこのとですが、その予想を上回る賑わいでした。
展示物のメインは法隆寺が所有している百済観音です。実は、10年以上前に法隆寺を訪れたとき観たと思うのですが、すっかり記憶に残っていませんでした。見物客の会話を聞いていますと、へぇ~と感心する造詣の深い話が飛び交っています。中には仏像を前に、長い時間手を合わせて拝んでおられる、中年の女性もいらっしゃいました。私にはそこまで仏像への思いはないのでしょう。神仏とは形のないものという思いがあるからなのでしょうか。 私が興味があるのは、古代の人間が見たこともない神や仏を、形ある姿に表現しようと試みて、見事に後世に残す大作を作り上げたということに、感動します。名もなき人が、それこそ魂を注ぎ込んで作り込んだ仏像を見つめていますと、不思議と日常の邪念が払われ心が落ち着いてきます。
会期終盤の6月7日、8日、13日、14日、15日は開館時間が午後7時まで延長されるそうですので、ゆっくり見たい方には夕方に行かれるのが良いかもしれませんね。 また、同じ時期に京都の国立博物館では「日本、美のるつぼ」展が開催されており、古都は展覧会を楽しむ企画が目白押しです。
これから行かれる方は、気温の高い日が増えているそうなので、熱中症予防対策も忘れずに楽しんでくださいね! 圧巻の国宝の数々で、本当に見応えがありました!!
2025.06.05
もう36年か!
1989年6月4日に発生した天安門事件から、今年の6月4日で36年を迎えました。この事件は、中国共産党・政府が、学生らを中心とした民主化運動を武力で弾圧したものです。
この歴史的な出来事の犠牲者らを悼むため、世界各地で追悼集会が開かれています。特に、台湾・台北市中心部にある中正紀念堂前では、数百人もの市民が参加する追悼集会が開催されました。集会では、事件が起きた日付を示す「8964」の形に、キャンドルライトが灯されました。これは、民主化を求めて犠牲となった学生たちの死を悼むためです。
2025.06.03
さようなら、ミスター
今朝は、大津市で売買契約と請負契約締結の為、売主様のお宅に直行しました。無事滞りなく売買契約の締結が完了しましたので、ふと、リビングのテレビに目を移しますと、長嶋茂雄氏の訃報の画面が流れていました。仕事中ですので、声をあげることが出来ませんでした。
国民的な人気を誇り、「ミスタープロ野球」として多くの人に愛された、元プロ野球選手の長嶋茂雄さんがお亡くなりになったとのことです。
2025.06.02
令和の火付盗賊改方!
定休日の水曜日、夜7時は至福のひと時です。それは、野球放送がなければ、時代劇の鬼平犯科帳の番組が放映されるからです。
悪人をぶった切る厳しさの中に、男の優しを醸し出す、長谷川平蔵はあこがれる生き方です。
さて先週、「拘禁刑」という言葉を初めて聞きました。 2025年6月1日以降に罪を犯した人に適用される、日本の新たな刑罰です。これは、実に118年ぶりの大きな転換となります。
2025.06.01
テレワークってもう古いの?
2025年も今日から6月に入りました。気候もこの時期には珍しく、連日過ごし易い気温で、クールビススタイルから、背広とネクタイ姿に戻りました。
さて、新型コロナウイルスのパンデミックを機に、私たちの働き方は大きく変化しました。中でも「テレワーク」は一気に広まり、在宅勤務はもちろん、ワーケーションのように旅先から働くことも可能になりました。小さなお子さんを持つ方など、育児と仕事の両立という観点から、テレワークのメリットを強く感じた方も少なくないでしょう。
規律というものがない中では、モチベーションが上がらないといわれています。ユダヤ教の教えでは、戒律があるからこそ、自由があるといいます。
自由すぎても、人はストレスを感じるようになっているのかもしれません。
世の中は、一面だけでは成り立ちません。善悪、正負、勝ち負け、男女等、相反するものが合わさってこそ、現実が存在できるといったところではないかと思います。
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