アキバのつぶやき
2025.01.23
不完全がいい
イチロー選手が日本人で初めてアメリカ野球殿堂入りを果たしました。ヤンキースの元同僚のジータ選手の方が先に殿堂入りしているのには、驚きました。二人とも満票ではなかったとのことですが、イチロー選手はその方が良かったと。
不完全が良いという感想をあの場面で発することが出来るのは、イチロー選手ならではといった感じを受けました。そして、現在ならもっともっと多くの日本人選手がメジャーリーグで活躍していてもおかしくないのだがという、日本の野球選手への叱咤激励ともとれるメッセージもイチロー選手らしいコメントでした。
己にも厳しく、また周りには切磋琢磨を奨励し、みんなんで高みに登りましょうというリーダーシップが感じられる会見でした。一流選手は一流の監督にはなりにくいといわれますが、イチロー選手なら監督になっても超一流になれるのではないでしょうか。
イチロー選手の言葉を聞いておりますと、リーダーの優しさに、逆に厳しいものを感じるという、最強の組織を作り上げる素質をふんだんに持ち合わせた人ではないかと思えてなりません。厳しさの中に愛情を感じるという、そんな素晴らしい人格を持ったイチロー選手に憧れるばかりです。
企業は商品や製品を作る前に、社員の人格形成にもしっかりと取り組むことが、長期の繁栄を実現する王道なのかなぁと思いました。
企業は人なりですね。
2025.01.20
月夜のウォーキングで思う。
昨年末から再開した、ウォーキングですが、今のところ挫折せずに続けられています。その理由の一つは、目的が夜の夜空を楽しみたいというのが強くあるからなのでしょう。それと、大好きなキースジャレットのジャズを聴きながら歩いたことで、快適を感じたからではないかと思っています。矢沢のロックでは、冬の夜空を鑑賞しながらのウォーキングは、しっくりこないのです。
そんな中、夜道が月の満ち欠けで、これだけも明るさが違うのかという事を実際に体験できました。1週間前は満月でしたので、足元が明るくはっきりと道の様子が見えましたが、だんだんと月が欠けるに従いすごいもので、明るさが断然違います。街灯が所々あるので、懐中電灯がなくても、難なくウォーキングできます。ありがたいことです。
江戸時代から「月夜ばかりとは思うなよ」という言葉がございます。脅迫めいた意味でつかわれているのですが、当時の灯りの事情を考えますと、まさしく新月前後の夜道は、本当に真っ暗だったのでしょう。夜討ちするには、素性がバレずにできるぐらいの暗さだったのかと思うと、明るい夜道でも平然と犯罪が行われる現代に生きる人間は、罪悪感が希薄しているといえます。
昔から盗人にも三分の理というものがございますが、現代は理の無い世の中になりつつあるのかなぁと、ニュースを見聞きして思う今日この頃です。
2025.01.19
フランスと渋沢栄一
約二十年ぶりに、福沢諭吉翁から一万円札の顔となったは、渋沢栄一翁。偶々、渋沢栄一翁が書いた「論語と算盤」のある方の書評を読んだときに、渋沢栄一という偉人に新鮮な興味が沸き起こりました。「論語と算盤」は、以前に読んだことがありました。その時の感想は、一般的に言われている志を高くもたず、人の生きる道を外すと、事業が失敗する確率が高くなるというものでした。
ところが、読んだ書評は逆からの発想でした。それは、企業が継続して長期の利益を上げるには、道徳的であらねばならないということです。あくまでも、事業を継続するに至って一番大事なことは、長期利益であるという事です。その長期にわたって企業が利益を確保するには、その事業が道徳的であることが必要条件だという事です。
この考え方は、渋沢栄一翁が、自ら生み出したのではなく、元は18世紀から19世紀前半のフランスで発生した政治的教義に基づいた思想のサン=シモン思想が影響しているとの事。サンシモン主義という思想が、ナポレオン三世時代に存在していたなど、この歳になるまで、これっぽちも知りませんでした。
で、新たに渋沢栄一翁について書かれた著書を読んでみますと、まったくもって今まで持っていた印象とは違う人物でした。人生右往左往しながらも、持ち前の頭脳の明瞭さによって、物事の本質をいち早く洞察し、新しい知識を吸収しそれを知恵に振り替えていくところが何とも羨ましい。日本の資本主義の父といわれるゆえんが腑に落ちました。渋沢栄一の考えの根本は、フランスにあったのかと思いますと、人は見聞を広めなければ立身出世の夢は果たせないのだなぁと当たり前ですが、痛感します。
これを機に他の人物伝を読み漁ってみよう。次は「小林一三翁」を読んでみようっと!
2025.01.18
トランプ2.0
来週月曜日、1月20日にはアメリカ大統領としてトランプ氏が就任します。二度目の大統領就任となるのですが、賛否両論が跳梁跋扈しております。何事も、一面だけでは判断できないので、良いも悪いも付き纏うものと思っております。
トランプ氏が大統領になることで、恩恵を得る方がいる一方、厳しい立場になる方がいるのでしょう。トランプ氏に限らずどんな状況でもプラスとマイナスの両面が存在するのが真理と思っています。
だったら、すべてを良い方面から見るようにしたほうが、精神衛生上にも健康に良い影響を与えるのではないでしょうか。晴れてよし、曇ってよし、富士の山という言葉がございます。
何事にも一喜一憂することなく、淡々と現実を受け容れて、自分が為さねばならない仕事に勇往邁進するのみかなぁと、この頃強く意識できるようになりました。自己否定することなく、他者を非難することなく、感謝観念で日々の生活の基本出来れば、自ずと幸福になるのでしょう。今から、精進してまいります。
2025.01.17
30年
もう30年が経つのですね。当時は独身で奈良県の実家の近所で一人暮らしをしておりました。賃貸マンションの4階に住んでおりましたが、寝ている傍の窓から外に放り出されるのではないかという、大きな横揺れで目が覚めたのを、今でも記憶に残っています。直ぐにテレビをつける余裕がなくしばらく呆然としていました。
これは、早めに出勤しなければ、遅刻するのではないかという気持ちで、テレビをつけますと神戸で起こったというのが分かり、親戚の安否が気になりましたが、先ずは会社に行かなければという気持ちが強かった。上司への連絡も現代のようにスマートフォンは勿論なく、ガラ携も普及していなかった時代です。確か、外出時はポケットベルと公衆電話が、伝言の主流でした。ですので、とりあえずは会社に行き、上司の指示を仰がなければどうすることもできませんでした。
通勤電車は運行しておりましたが、途中で停車したり徐行運転で、通常の3倍ぐらいの時間で会社に着きました。会社のテレビをつけますと、被害の甚大さが伝わってきて、どう対応してよいのか焦るばかりでした。パラパラと上司と同僚が出勤してきましたので、少し安心したのですが、営業所が神戸にもありましたので、同僚への救援策を上司が指示し、バイクを数台近所のオートバイ屋さんで購入し会社のトラックに積んで運びました。被災地までは到底行き着くことが出来ずに、当時豊中にあった営業所にオートバイを下ろしたことを覚えております。
地震も自然現象である限り人間の力では制御できません。だから、発生する前から用心し、被害を最低限に抑える対策を心掛けなければならないと思います。近々に南海トラフ大地震が発生すると喧伝されています。誰もがいつ来るか分からないのですが、備えあれば患いなしです。30年前を思い起こし、自分でできる防災対策をしっかりと行っていきたいものです。