アキバのつぶやき
2025.02.03
他人の教えと自分の答え
自分が考えた答えなのか、他人から伝え聞いたことの答えなのか、明確にしないといけないと思います。どうも他人の考えを何の思考も加えることもなく、拝借して他人に伝えていることが、私にはたくさんあります。読書を趣味にしていますと、それを強く感じます。先人の体験と意見はとても参考になり、教訓になるのは間違いと思いますが、ただそれを思考停止で受容することは危険だと思います。
これを日々当たり前のように続けていると、いつまでも自己の答えを自分の思考で生み出すことはできなくなると思います。独創性が発揮できないのはそれが原因だと思います。夥しい情報が次から次へ流れてくる現代に生きるには、注意しないといけないのではないでしょうか。
今日正しいと判断したことが、明日は間違いということが結構存在します。理性的判断は絶対的ではなく相対的であるということを肝に銘じて仕事を遂行していくことが求められる時代になったのではないでしょうか。
トランプ政権発足前は、アメリカの経済が良くなり株価は上昇するだろうという予想がなされていましたが、今はトランプ関税によって世界経済の停滞リスクが高まったとマスコミは報道し、下落相場に見舞われています。
他人の予想ほど無責任なものはございません。この世の中には、正解がないのですから、自分なりの解をもてるように、本質を見極める力を養成することが、ビジネスマンに強く求められるようになると強く感じる今日この頃です。
自分を信じる力の促進に努力していこうと思うのでありました。
2025.02.02
節分と経済
今年は本日、2月2日が節分の日となります。毎年節分の日は、社長が祇園のお料理屋さんで恵方巻を注文し、お得意様や私たち社員に振舞ってくださいます。本数は知りませんが、お店は朝から板前さん総動員で作っておられるとの事です。感謝の気持ちで一杯です。さて、本年はどちらの方角と調べますと、西南西との事。どのようにして、毎年方角が決まるのかもついでに調べました。
その年の「歳徳神(としとくじん)」という神様がいる方角との事です。 歳徳神とは、その年の福徳を司る神様で、別名「年神様」「正月様」とも呼ばれているようです。そして この歳徳神がいる方角を「恵方」と呼び、その方角を向いて恵方巻を食べることで、縁起が良いとされています。
いつから始まったのか調べますと、江戸時代後期から明治時代に「幸福を願って食べた」という説と、江戸時代後期から明治時代初期にかけて、商売繁盛・無病息災・家内円満を願って食べられるようになったという説と様々なようです。また、誰が流行らしたのかといったことも諸説様々です。ウナギ屋さんが土用の丑の日を当てて精をつけるウナギを食べるように宣伝したような感じなのでしょうか。
どちらにいたしましても、商魂たくましい商人の知恵には間違いございません。アダムスミスの「国富論」によりますと、たとえひとりひとりの行動が利己的な動機によるものであっても、それが無数に集積されると、個々人の意図とはまったく関係なく、社会全体の利益となる。つまり、「自己利益の追求」という個人的な動機を自由放任しておけば、市場も社会も自然と成長し続けるということです。
ただここに、悪人が蔓延ると、互いに傷つけあい、不正を企てて相手を出し抜こうと待ち構えている人ばかりとなり、社会は存続できないとしています。正義がなければならないという事です。合理性の中に非合理性が混在しないと社会は発展しないという事でしょうか。渋沢栄一翁が近代日本の資本主義の思想にも近いように感じます。
サン=シモン主義と国富論には何かつながりがあるのではないかと好奇心が沸き起こってきました。休日にちょっとかじってみようと思います。それでは、本日は早目の帰宅で、恵方巻を家族で頂きます。
2025.02.01
夢と期待
夢を持てと若いときに先輩や上司からよく言われました。その時は、夢!そんな悠長なものあるわけないやん!なんてよく嘯いていました。それよりも、目の前のタスクを処理することで精一杯でした。だから、計画というものを立てるのが苦手であり嫌いでした。計画をいくら立ててもその通りにならないのだから、それを考える時間がもったいないという気持ちでした。
今となってはなんと馬鹿げた愚かな考えだったのかと、思えてなりません。結局のところは自分の力を信じていなかったからが原因です。自分には自分が望んだ目標を達成する実力はないのだという前提があったがために、目標管理が嫌いでしかたなかったのでしょう。達成できなかった時の落胆と失望感を考えますと、あえて目標は設定したくないという感情が強くあったのだと思います。
振り返りますと、大きな過ちと損失を生んでいたのではないかと思えてなりません。挑戦する勇気と継続する胆力が、身につくことなくただ単にその時その時の情勢に対応していく、一種のロボットのような仕事の仕方をしていたと思います。
長い時間はかかりましたが、そのような意識で仕事をしていては、社会にや周囲に大きな貢献をもたらさないということが実感できるようになりました。もっと早くに気づくことができれば、人生も大きく変わっていたのでしょうが、読書と同じで事後性が強く、いくら他者から忠告を頂いていても自覚できなかったのでしょう。
ですので、後悔するのではなく今から改めて、しっかりとした目標と目的を定めて、為さねばならない仕事を為していくことに意識を集中していこうと思います。何事にも期待せず、ただただ目標に向けて淡々と他人に頼ることなく、自己の思考と行動力で前進していこうと思うのでした。
2025.01.31
世の中値上がりばかり!
新年明けて早いもので、 明日から2月です。また当たり前のごとく、2月28日しかございません。光陰矢の如しです。一方で物価の上昇もあれよあれよと、上昇しています。私は、数年前から一人でスーパーに買い物に行きます。自分が食べたいものを自分で買いたいという衝動に駆られて、今となっては習慣となっています。だから、日用品や食品は値上がりばかりしているというのが実感として身に染みて感じます。ところが、自分では体験しないところでも値上がりが続いているものが世間にはたくさんあるのではないでしょうか。
その一つとして、火災保険料がございます。私は二十数年前に35年の火災保険を一括で納めましたが、今ではそのような長期の火災保険は存在しません。10年が最長です。記憶ではその時の保険料は50万円以上しなかったのではないかと思っております。(記憶違いでしたらすいません)
昨今は被害の内容が甚大であったり、老朽化している建物が増え、その損傷に保険が使われているのが原因の一つと言われています。同時に資材の高騰で修理補修費が増額しているのがあるのでしょう。そうしますと、これから新築を計画されているお客様にもその影響は降りかかってきます。
デフレ経済に長くつきあってきた私たち日本人は、この値上がり社会に戸惑っている人が多くいるのではないでしょうか?インフレ経済では明日より今日の決断が必要となります。逡巡していては機会を損失します。
デフレ経済では逆に意思決定を遅らせるほうが得を享受できました。どちらかが人にとって幸福を感じるのでしょうか?デフレの時代にはインフレが幸福を呼ぶといい、インフレ時代には物価下落のデフレが住みやすいと感じるのではないでしょうか。人は、基本的に無い物ねだりといったところなのかもしれません。
ということは、どんな状況になっても、「心ひとつの置きどころ」に尽きる、私です。
2025.01.30
ドクターイエロー引退
昨日をもって、JR東海のドクターイエローが引退しました。見ると幸福を呼ぶと言われ、鉄道ファン以外でも人気を博しました。じつは私、7年前だったと思いますが、新大阪駅のプラットホームで見たことがございます。素早くスマフォで写真を撮り、鉄道好きのお客様のお子さんに、写真を送ってあげたのを覚えています。幸福を呼んだかどうかは、今元気でお仕事をさせて頂いているので、そうだったのだろうと思います。
高度な技術を搭載したドクターイエローの車内には、マスコミのカメラもなかなか入れないぐらい、セキュリティが厳しいと聞いたことがあります。走行の安全確保と維持のために、最先端の技術で作られた車両だったからなのでしょうか。過去の新幹線事故を振り返りますと、多大な貢献を果たしくれました。本当にお疲れ様です。西日本のドクターイエローは2027年に引退が決まっているようです。
まだ、2年間ございますので、もしかしたらもう一度見れるかもしれません。この頃は新幹線を利用した出張の仕事はほとんどございませんので、沿線を車で走っている時に見るしかないのかなぁと思うと、ほとんど見れない確率の方が高いと思います。それこそ、見ることが出来れば、大きな幸福を呼ぶこめると思いますとワクワクしてきます。
人も物もそれぞれに役割というものがあり、それを全うすることで周囲からの称賛の声をいただけるのでしょうね。私も、老朽化の域に入ってまいりましたので、ドクターイエローのように現在の仕事で、社会に企業に貢献できるよう、日々研鑽していこう。