アキバのつぶやき
2025.07.27
時間の流れと変化
夏の盛りになると、あたりに響き渡る「蝉時雨(せみしぐれ)」は、日本の夏の風物詩ですよね。俳句の季語として、よく使われます。ところが、今年はSNSなどで「セミの声が少ない」という書き込みが目立つそうです。東京都内や南関東でも、例年のような大合唱には遠いと感じる方が多いかもしれません。
地球が誕生したばかりの頃は、1回転に5時間ほどだったのが、恐竜のいた中生代には約22時間と、潮の干満などにより少しずつブレーキがかかってきたそうです。
昨日よりも、今日を楽しく。日々新に、こころも新たに!じっと心を沈めて自分を見つめ、私も変化していきたいものです。
2025.07.26
段差
先日、妻が足が晴れて痛みが取れないので、整形外科に行きました。3ヶ月前も同じような症状で通院していたので、何かが悪化したのかと思っていましたが、骨折しているとの事で、総合病院を紹介してもらいました。
CTを撮った診断の結果、すぐに手術という事になるかもとの話でしたが、2週間ぐらい後でも問題ないといわれました。結構なガタイをしているので、松葉杖もおぼつかない様子です。
病院内の移動は車いすを借りたので、良かったのですが、いざ家に帰るとなりますと、玄関までの階段が登れない。10㎝程の段差ですが、全く足をあげることが出来ず、椅子を使って何とか家の中に入ることが出来ました。玄関まで数十段ある家でだったらと思うとホッとしました。
怪我もなく当たり前のように歩いているのが、本当にありがたく感じました。歳を重ねるごとに、段差というものが歩行の大きな障害の一つになるというのが実感しました。
何をおいても、人生は健康一番ですね。今日も暑い日ですが、慌てず行動していきましょう。
2025.07.25
日付の裏に潜むもの
私たちは日めくりのようにカレンダーをめくり、新しい日付に何の疑問も抱かず、ほとんど意識することなく、新たな時間を刻み始めます。しかし、この「カレンダー」という言葉が、古代ローマにおける金の貸し借り、すなわち「債務」の記録に由来すると聞けば、その背後にある歴史的含意に、私たちはもう少し敏感になるべきと思うのです。
「カレンダエ」とは、まさに利息計算の基準日、毎月1日を指したのだそうです。日付とは、古来より人間に課せられた、ある種の「拘束」や「義務」、あるいは「負債」の記号であったわけです。まるで古代ローマの会計簿の如く、期限として刻まれた「8月1日」。
この日付は、日米関税交渉の「決着」という名のもとに、ある種の「債務」を日本側に背負わせました。当初トランプ大統領が書き込んだ「25%」という数字が、最終的に「15%」で合意したとのことです。メディアの一部には「マイナス10ポイント」という数値に安堵の声もあったようですが、それは一体、何を基準とした「安堵」なのでしょうか。
実際、この「決着」を受けて、「国益を守り抜けたのか」という根本的な疑問が噴出し、政権の「強気発言」が結局「遠吠えに終わった」とまで酷評されています。さらには、「KY首相では日本丸沈没」といった厳しい論調が散見されることこそ、この「合意」の代償の大きさと、それに伴う不信感の深さを示唆しています。
外交とは、レトリックとポーズの応酬ではありますが、その裏で実質的な国益が損なわれるならば、それはもはや滑稽な寸劇でしかありません。
私たちは、カレンダーに刻まれた「日付」が持つ「債務」や「期限」という古来からの意味合いを改めて噛みしめるとともに、政治が掲げる「合意」や「決着」といった言葉の背後にある「実相」を、常に疑いの目で吟味するべきでしょう。そうでなければ、私たちは、見えない「足かせ」を自ら進んで装着させられることになるかもしれません。
その意味で、この8月1日という日は、未来に向けた警告として、カレンダーに深く刻まれたはずです。
2025.07.24
プラモデル
この時期の猛暑は本当に厳しいですね。
そんな中、世界的模型メーカー「タミヤ」の田宮俊作・代表取締役会長(90)が7月18日に死去されました。また、テレビドラマ「サインはV」の中山麻里さんの訃報に驚くと同時に、テレビの前で釘付けなっていた昔を思い出しました。
田宮氏は、スケールモデル、RCカー、ミニ四駆の世界的普及に多大な貢献をされました。この訃報に触れ、少年時代のプラモデル作りの記憶がよみがえりました。お小遣いを握りしめ模型店へ向かい、箱を開ける時の高揚感、パーツを一つ一つペンチで切って、説明書を見ながら組み上げるのですが、途中で失敗して投げ出したこともありました。戦車や車が多かったです。船や飛行機は、自分には難しく根気のいる部類で、敬遠していた記憶がございます。
そして完成した時の格別な達成感。タミヤはものづくりの楽しさや喜びを教えてくれる、かけがえのない存在でした。
田宮会長が与えてくれた夢と感動は、これからも受け継がれるでしょう。
お二人には、心よりご冥福をお祈りします。
2025.07.22
異端児
昨日、宇治市で空き家を所有されている、所有者様のお宅に訪問しました。突然の訪問にもかかわらず、ご面談のお許しを頂き世間話をしておりましたら、何と枚方市の高等学校で社会を教えておられたことがあり、主に政治経済が主とのことでした。同時に弊社が枚方市にあり、ご縁を感じました。
当然のこと、自公で過半数を割り込んだ、先日の参院選の話になりました。今回の選挙は、世界の潮流に乗った、イメージ選挙だったなぁというご感想でした。そんな中、石原莞爾(いしわら かんじ)という人物の話になりました。
昭和初期の軍人として語られることが多いですが、その思考は単なる軍国主義者の枠を超えています。彼は「最終戦争論」を提唱し、日米の戦争は不可避であり、最後は正義と正義が衝突する世界戦争になると予見しました。そのため、日本は道義国家として精神的に高いレベルに達しなければならないと説いていました。
現代の私たちが、彼をどう評価するかは分かれるところですが、「ただの軍人」では収まらない存在であることは確かです。もう少し石原莞爾を知るために、考察を深めたいです。また、昭和という時代の奥深さに触れることでもあると思えてなりません。
どんな時代でも、激動の歴史に人は惹かれるのだと、お客様の感想に深く感銘し、面談していただいたことに感謝して,帰社の途につきました。