アキバのつぶやき

2025.09.01

防災の日に思うこと

 9月1日は「防災の日」。1923年の関東大震災が発生した日であり、また台風シーズンの始まりにあたる時期です。私たち日本人にとって、防災は特別な行事ではなく、日常の延長線上にある大切なテーマだといえるでしょう。

 とはいえ日々の暮らしの中で、防災を意識し続けるのは容易ではありません。備蓄を整えても、気づけば賞味期限が切れていたり、懐中電灯の電池が切れたままだったり…。だからこそ、防災の日は「備えを見直す」大切な機会になるのです。
 
 近年はゲリラ豪雨や線状降水帯、巨大台風など、従来の経験則では判断できない気象災害が増えました。過去の記録を学び、未来のリスクを想定すること。それは気象を知ることと同じく、防災の基本ではないでしょうか。

 大切なのは、「もしも」をイメージして準備をしておくことです。停電したらどうするか、水道が止まったらどうするか。具体的な状況を想像し、家族や身近な人と話し合うだけで備えの精度はぐっと高まります。


 「事前の一策、事後の百策に勝る」


 完璧でなくてもいい、小さな一歩を踏み出すことが何より重要です。 自然は時に厳しさを見せますが、同時に四季の彩りや豊かさをもたらしてくれる存在でもあります。その恵みを享受しながら、どう向き合い、どう備えていくか。

 防災の日は、自然と共生する生き方を考える入り口として位置づけられるのではないでしょうか。

2025.08.31

相続した不動産の売却方法は?

 相続した不動産をどうするか――これは、多くの方が一度は直面する課題です。売却した方がいいのか、持ち続けた方がいいのか。誰にとっても「絶対の正解」が見つからないのは、不動産という存在が、単なる資産である以上に、家族の思い出や歴史を背負っているからでしょう。

 AIの時代になって、不動産の相場や売却のシミュレーションは、以前よりずっと簡単に確認できるようになりました。たとえば「今売ればいくらになるのか」「税金はいくらかかるのか」といった合理的な答えは、AIが正確に示してくれます。けれど、それだけで心は決まりません。不動産には、合理的な価値と、心の中の価値とが同居しているからです。


 相続した家に、幼い頃の記憶が詰まっている人もいれば、維持管理の負担に悩む人もいます。早く現金化して兄弟姉妹で公平に分け合うことが「正解」と感じる方もいれば、多少時間がかかっても「納得できる相手に引き渡したい」と考える方もいます。そのどれもが間違いではなく、それぞれの心に寄り添った選択なのです。
 
 AIにできるのは、選択肢を広げ、判断を支えること。最終的に「どの答えを選ぶのか」は、家族の関係性や自分自身の納得感によって決まっていきます。

 だからこそ、相続不動産の売却に唯一の正解はありません。正解は「外にあるもの」ではなく、自分自身と家族が「これでよかった」と思えるところに生まれてくるのだと思います。AIは道しるべ、そして舵を握るのは、私たち自身なのです。

 そのお気持ちに寄り添ったサポートと提案を心掛けることが、私たち不動産事業を営む者の必須のスキルです。過去の売却事例を持論に持つことなく、一人一人のご相続人様と真摯に向き合って、ご納得いただくことを目指して、明日からも日々ささやかでよいので進化してかないといけませんね。

2025.08.30

嘗て宇宙人といわれた男

 もうすぐ9月、秋の気配を感じる頃となりましたが、飛び込んできたニュースに、ふと立ち止まって考え込んでしまいました。

鳩山由紀夫元首相が、来月3日に北京で行われる「抗日戦争勝利80年記念行事」にご出席なさるというお話です。


 記事によれば、それは「極めて軍事色の濃い式典」であり、北朝鮮の金正恩総書記やロシアのプーチン大統領も出席される予定なのだとか。
この一報に接し、心に去来したのは、日本の元首相という重い立場の方が、そのような場に臨むことの意味についてでした。記事によりますと、刑法でこれまで一度も適用されたことのない「外患誘致」という重い言葉まで引き合いに出され、その刑が「死刑」以外に定められていないとまで書かれています。

 もちろん、これは極端な見方かもしれませんが、それほどまでに国民の間に懸念がある、という筆者の気持ちが伝わってきます。
ご長男である国民民主党の鳩山紀一郎衆院議員が、X(旧ツイッター)で「父には出席の取りやめを要請しました」と発信され、「日本の元首相が中国政府の戦勝記念行事に出席する必要はありません」と釘を刺されたのも、ご家族としての、そして国会議員としての真摯な思いが滲み出ているように感じられます。

 ご子息の切なる願いが、鳩山元首相の耳に届くことを願わずにはいられませんが、記事の筆者は「鳩山氏の耳には届くまい」と、どこか諦めにも似た見方をしているのが印象的です。

 かつて国の舵取りを任された方が、今、どのようなお考えでその席に臨もうとされているのか。その真意は測りかねますが、国民の一人として、複雑な思いを抱かずにはいられない、そんな晩夏のニュースでした。

2025.08.29

ないことの有難さ

 朝起き頭が働きだすと、あれもしないといけない、これもしないといけないと、やることばかりに意識が向かい、躍動感が満ちてきます。一方で、「ないことの有難さ」というのは、日常のなかで気づきにくい視点です。私たちは往々にして「あること」に注目します。財産がある、人脈がある、健康がある、時間がある。これらが豊かさを測る物差しのように思われがちです。しかし、冷静に振り返ると「ないこと」こそが、人生の安らぎや秩序を支えていることに気づかされます。

 たとえば、病気が「ない」からこそ、普通に歩いたり食べたりする喜びが当たり前になります。災害や事故が「ない」日常だからこそ、私たちは穏やかに暮らせるのです。つまり、何も起きない平凡な一日こそ、実はきわめて稀有な有難い状態だと言えます。

 ところが人間は欲深いもので、「ないこと」を当たり前と見なし、気づかぬうちに「もっとある」ことを追い求めます。その結果、手に入れたものに満足できず、常に欠乏感を覚えるのです。「お金」が代表的なものです。しかし、ふと立ち止まって「今ここに災いがない」ことに感謝できれば、生活の質は大きく変わります。
 これは「マイナスの状態をゼロとみなすか、プラスとみなすか」という認知の問題です。心理学でも、ゼロは単なる中立ではなく、安定の象徴と捉えられます。無病息災、平穏無事。この「ない」ことが積み重なって、ようやく人は何かを創造したり挑戦したりする余地を得られるのです。
 ですから、「ないこと」を無視せず、静かに味わうことが人生を豊かにしると思います。今日もまた、大きなトラブルが「なかった」。その有難さに気づけるかどうかで、幸福感の深さが決まるのではないでしょうか。これが「ないことの有難さ」ではないでしょうか。

2025.08.28

似て非なるもの

 人の行動を説明するとき、「原因」と「目的」という二つの考え方があります。原因というのは過去から今を説明する視点です。たとえば「人と話すのが苦手なのは、子どものころの体験が影響している」というようにです。これは理解には役立ちますが、どうしても「仕方がない」と感じてしまうことがあります。
 一方で、目的という考え方があります。アドラー心理学では「人は原因ではなく目的によって行動する」と言います。つまり「人と話すのが苦手なのは、嫌われないように距離をとるという目的を選んでいるから」と見るのです。ここで未来を意識すれば、「これからは信頼関係を築くことを目的にしてみよう」と、自分で新しい行動を選ぶことができます。
 
もちろん、過去を振り返ることも無意味ではありません。なぜなら、これまで自分がどんな目的を選んできたのかを知ることは、未来に向けて新しい目的を描く手がかりになるからです。

 結局のところ、原因は過去を語る物語であり、目的はこれから選ぶ道しるべです。人が本当に変わるのは、未来にどんな自分でありたいかを選んだときなのだと思います。

 ビジョンをもって仕事に従事することが、何にもまして大事だということですね。