アキバのつぶやき
2025.09.08
人間の年齢とは
初老の域に達し、もうこれだけ生きてきたのかと、ふと思う時がございます。早いもんだなぁ!
そんな時、本日の毎日新聞の「余録」が紹介していたジム・ヘンリー氏の物語に感動しました。それは、米コネティカット州に暮らしたヘンリー氏は、子どもの頃に読み書きを学ぶ機会がなく、漁師や大工として懸命に働き続けました。長年、家族にも秘密にしてきた識字能力の欠如を、妻の病気を機に打ち明けるに至ったといいます。
国際識字デーにちなむこの物語は、物質的な豊かさだけでなく、知的な活動と創造の喜びこそが、人生を真に豊かに彩る核心であると示唆するでしょう。
僅かでいいのです。もう年だからという常套句の言い訳をせずに、躊躇することなく新たな分野を開拓していきましょう。
2025.09.07
ただ乗りを許せない理由
先月でしたでしょうか、キセル乗車の常習犯が逮捕されたという事件。驚いたことに、そのグループは、「大宮赤ラン軍団」と呼ばれる「撮り鉄」グループの大学生で、常習的に不正乗車を繰り返していたということです。本当にこういう事件は、怒りを強く感じます。
そして、社会の中で生活していると、「あの人はただ乗りしているのではないか」と感じる瞬間に出会うことがあります。たとえば、職場で誰かが皆の努力に便乗して、成果だけを享受する場面や、地域活動で一部の人が労力を負担し他の人が享受する場面などです。人はなぜ、この「ただ乗り」に強い嫌悪感を抱くのでしょうか。
第二に、信頼関係の破壊です。共同体は、互いに支え合うという暗黙のルールに基づいて成り立っています。にもかかわらず、ただ乗りをする人はそのルールを破ってしまうため、「この人とは一緒にやっていけない」と感じさせてしまうのです。
第三に、自尊心の問題があります。自分が律儀に責任を果たしているのに、他人は何もせず利益を受け取る状況は、「自分の誠実さが利用されている」と感じさせます。その結果、不快感はさらに強まります。
第四に、集団の持続性への不安もあります。もし皆がただ乗りを許すなら、誰も努力しなくなり、集団や制度は維持できません。これを本能的に察知するからこそ、一人のただ乗りも許したくないという心理が働くのです。
結局のところ、ただ乗りを忌み嫌う心理は、単なる感情的な反応ではなく、公平性や信頼、自尊心、そして集団の存続を守ろうとする人間の本能に根差しているのです。だからこそ、私たちは日常のさまざまな場面でこの感情を経験するのでしょう。
フリーライダーの存在を見抜けず、放置している組織は、「千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ」を肝に銘じて、対応を怠ってはいけないですね。
2025.09.06
デザインで生きる
私たちは普段、デザインという言葉を耳にすると、ポスターや建築、ファッションのように、目に見える美しさを思い浮かべがちです。けれど、よく考えてみると、私たちの暮らしのすべてが「デザイン」と深く結びついています。日常の思考や、仕事の行動の組み立て方さえ、一つのデザインなのです。
「デザインで活きる」とは、日々の営みを意識して「かたち」にすることだと思います。忙しさに追われていると、流れに身を任せるだけになってしまいますが、ほんの少し立ち止まって順序を工夫するだけで、心の余裕や笑顔が生まれる。デザインは、見た目の美しさだけでなく、生活の質を整える力を持っているのです。
また、思考をデザインすることも大切です。悩みが堂々巡りになってしまうときは、紙に書き出して整理してみる。あるいは「今日は発想を広げる日、明日はまとめる日」と自分の頭の流れを設計してみる。そんな工夫ひとつで、思考は驚くほど澄んでいきます。
デザインとは、結局のところ「自分らしい生き方を形づくること」なのかもしれません。誰かの基準に合わせるのではなく、自分の心地よさや大切にしたいものを軸に、日々を組み立てていく。その積み重ねこそが、人生を美しく、そして柔らかくしていくのでしょう。
2025.09.05
お宝発見!
私の営業訪問は、ほぼアポなしが大半を占めます。先方様にははなはだご迷惑のことと存じておりますが、アポイントを取る手段がないというのが現状なので、致し方ございません。
もちろんご不在であったり、面倒なので居留守といったことが多いですが、昔取った杵柄で、飛び込み営業は苦になりません。ですが、相手様の厳しいご対応に遭うと、時には心が折れそうになります。
そらそうですよね、見ず知らずの男が突然、何の前触れもなく訪問されれば、そういう対応になるのは、このご時世からすれば当然の対応です。逆に申し訳ない気持ちが沸き起り、このような営業活動は時代遅れなナンセンスな行為なのかなぁと、思うときがございます。
でも、私はこの営業活動が出来ることが、私の強みの一つと捉えていますので、気を取り直し訪問することができます。そこには、何か新しいご縁が芽生えるかもしれないという、ワクワクした感情があるからだと思っています。ビジネスにつながらなくても、様々な人との会話を通じて、人間の感情の奥深さや、人生観などをお聞きしておりますと、新たな気づきをいただき、日々が豊な気持ちになります。本当にありがたいことです。
実は、きのう訪問させていただきましたご相続人様は、京都の老舗ふとん店様のS様です。会話しておりますと、ふと私の記憶の中から、tenのトレジャーハンターが浮かび上がりました。もしかしてと、尋ねますと、やはり以前に出演されていました。それに、アポなしに突然やってきたとの事で、番組で言っている増田氏の言葉は本当でした。私もアポなしの突然の訪問ですので、一緒ですねぇ!と、ご主人様と笑いあいお店を後にしました。
まさしく、お宝発見でした!
2025.09.04
ITがつくる水平分業社会と不動産業
社会の形は、かつて「縦型」でした。
会社でいえば、上司が決め、部下が従う。情報は上に集まり、下には指示が降りてくるだけ。いわゆるトップダウン型、ピラミッド型です。ところが、インターネットの普及がこの構造を大きく揺さぶりました。情報は誰でも検索でき、比較でき、判断できるようになりました。こうして「横に並んで役割を分け合う」水平分業型の社会が広がってきました。
不動産取引の場面も例外ではありません。昔は、不動産業者が物件情報を握り、お客さんはそれを受け入れるしかありませんでした。しかし今は、ポータルサイトを通じて自分で探せるし、AI査定で複数の業者を比べることもできます。
相続手続きも同じです。司法書士、税理士、不動産会社、リフォーム業者、さらには行政やNPOまでがオンラインでつながり、それぞれの専門性を発揮して進められるようになりました。まさに横に広がるチーム戦です。
もちろん注意も必要です。誰が最終的な責任を持つのか曖昧になったり、情報をどう理解すべきか迷うこともございます。さらに、情報を集める「場」を握る大手サイトが、新しい意味での権力を持つことも発生してきます。
ですが、ITが切り開いた水平分業の流れは止まりません。みんなが役割を持ち寄り、必要に応じてつながる。
不動産の業界も、よりオープンで柔軟な時代に入っているのです。