アキバのつぶやき

2025.08.25

愚痴

 米大リーグの大谷翔平選手が高校時代に掲げていた座右の銘をご存知ですか?

 それは、「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり」という言葉です。戦国武将・武田信玄の言葉とされ、まさに大谷選手の「覚悟」が伝わってきますね。

 さて、一方の石破茂首相は、「愚痴が多い」と指摘されています。例えば、アフリカ開発会議(TICAD)の夕食会で「首相をやっていると、あんまり楽しいことはない」とぼやき、昨年12月の講演では「普通の閣僚の何倍もしんどい」「新聞を読んでも誰もほめてくれないし、ネットをみれば本当に悲しくなる。寝る時間もほとんどない」とまでこぼしたそうです。5月の国会でも睡眠時間に触れ、「愚痴めいてごめんなさい」と釈明しています。

 これに対し、立憲民主党の小沢一郎議員はSNSで「総理にとって楽しい日本など必要ない」と指摘しました。真剣に職務に取り組む大谷選手のような姿勢と、時にこぼれる「愚痴」との対比は、私たち自身の仕事や責任への向き合い方を考えさせられます。


 大谷選手の言葉は、リーダーシップのあるべき姿を示しているのかもしれません。

2025.08.24

隠された心理とは

 お恥ずかしい話ですが、率先してやろうともせず、「すいません、できませんでした!」と言うことが、過去にありました。さすがに、還暦越えの歳になって、そのような機会は少なくなりました。どうでしょう、皆様も大なり小なり、ご経験がおありではないでしょうか。

 例えば、資料作成の締切に間に合わない。営業の数字が伸びない。契約がまとまらない。顧客対応でトラブルが続く!理由はいくらでも並べられます。そこで、以前から興味があり、勉強してきたアドラー心理学によりますと、それは「できない」のではない。
「やらない」という選択をしているに過ぎないのだといいます。そこには必ず目的があるというのです。

 仮に、プレゼン資料を期限までに仕上げられなかった社員がいるとします。彼は「忙しかった」と言いますが、本当のところは「完璧に作れなければ恥をかく」という不安を回避するために、あえて完成させなかった。あるいは「自分は能力が足りない」と周囲に思わせておくことで、責任を軽くする意図があるのかもしれません。つまり「できない」の裏側には、自分を守るための戦略が隠れているとのこと。
 営業職にしても同じです。目標に届かないことを「市場が悪い」「商品力が弱い」と説明する人がいます。ですが、その人は心のどこかで「成果を出せば次はもっと高いノルマを課される」という予感を抱き、それを避けるために本来の力を出し切らないかもしれないと。これは怠けではなく、防衛本能の一種であり、本人なりに筋が通った行動でもあるとしています。
 「そうかなぁ?」と、どうもアドラー心理学は、私には少し腑に落ちないところもあるのですが、肯定するとすれば、どのように解釈すれば良いのでしょう。

 つまり、アドラー心理学では「原因」ではなく「目的」を洞察することを勧めています。それは、上司が部下の失態を叱責するときや、フィードバックミーティングをする場面で、「なぜできなかった?」と問うのではなく、「あなたが、その選択をすることで、何を得ようとしたのか?」という質問を勧めています。それによって、本人に気づきを促すだけでなく、組織全体が責任転嫁の堂々巡りから抜け出すことができる良い質問を発することであると、位置づけています。

 このことから、所属する企業の就業規則や、随時発せられる業務改善指示令なるものに対して、素直に我が事として従順できない社員や、自分の都合のよいように拡大解釈して、是正しようとしない社員がいると想定しますと、「決められた指示に反した行為を選択することで、何を得ようとしたのですか?」という重い質問が必要になります。
 もちろん、人は弱い。誰しも失敗したくないし、また、反対に自分の思う通りに行動したいと思います。しかし、一方で他人の評価に怯えます。ですが、もう自分は、「やらない」という選択をしていると、意識し自覚できたとき、人はようやく自由になるのではないでしょうか。

 その理由は、他者の責任にせず、自分の目的に焦点を当てて物事を思索することになるからです。会社という小さな社会でも、この視点と自負があるだけで、心も空気も少し軽くなるのではないのかなぁ。

2025.08.23

よーいドン!

 関西テレビの番組のことではございません。

 小学生の時は、運動会が好きではなかった。元々、競争心といいますか、虚栄心が強かったのでしょう。他人に負けることと、「どんべ」になるのが恥ずかしいという、自己顕示欲が強かったのです。

 ふと、当時の記憶が蘇ってきたので、アラ還となった今となっては、競争するような運動はしないので、実生活に置き換えてみました。もし、この合図がなかなか鳴らない状況となった場合、実生活ではストレスの縮図のように感じられます。
 
 たとえば、仕事で言えば、新しい企画書を仕上げて提出したのに、上司からの決裁がいつまでも下りない場面です。こちらは走る準備を整えているのに、スタートの合図が出ないために、動けず焦燥感だけが募っていきます。

 家庭においても同じようなことが起こります。住宅購入や転職などの大きな決断をする際、家族の意見がまとまらず、話し合いだけが続いて結論が先延ばしにされる。本人としては動き出したいのに、合図が出ないまま待たされることで、エネルギーが消耗していくのです。準備段階の緊張は、短時間であれば集中力を高めますが、長く続くとむしろ不安や苛立ちへと変わり、強いストレスにつながってしまいます。

 そこで、考えられる重要なものは、「ドン」を他者に委ねすぎないことです。日常の中で自分が小さな合図を出す工夫をすれば、停滞は緩和されます。たとえば、決裁が遅れているなら確認のメールを送ってみる、家庭の議論が進まないなら選択肢を整理して提示してみる。そうした行為は大きな一歩ではなくても、自分自身に「今、動いている」という感覚を与え、ストレスを軽減します。

 人生には必ず待つ時間があります。しかし、その待ち時間をどう過ごすかによって心の負担は変わります。自分で小さくても「ドン」を鳴らす習慣を持つことが、現代社会を生き抜くうえでの大切な知恵だと考えます。

 ご相続された不動産のご売却の場面では、「ドン!」の合図が出るまで、何かお役に立てられる関係構築のフォローが何か、しっかりと考えて小さな「ドン」を鳴らしていきたいと思います。

2025.08.21

自信について

 お疲れ様です。

 先日、ある記事を読み、営業活動における自信について深く考える機会を得ました。その記事には、自信には2つの種類があると書かれていました。

一つ目は、「結果を得られた自分への自信」です。

 この自信は、よく言われているもので、努力して望む結果を手にした時に得られる感情です。でも、結果は努力だけでなく、運や環境にも大きく左右されるものです。そのため、望む結果が得られなかった際に、自信を失ってしまうというリスクがあるタイプです。これは自信ではなく、「期待」という感情に近いのではないかと思います。
 
 俗にいう、報酬を目的とした行為とも言えます。この感情で仕事をしていれば、その結果によって、仕事に対する感情のムラがでるのは当然でしょう。
 そして二つ目こそが、私が営業としてまた、人生において人として本当に大切だと感じる自信です。それは、「努力し続ける自分への信頼」です。つまり、「自分には実力をつけるまで努力を積み重ねる能力があり、価値のある人間である」と信じることです。「今はまだまだだけれど、自己の抱く理想に、意志し続ける力を持っている」と、心に描き続けるとも言えます。

 この自信の素晴らしい点は、運や結果に左右されないことです。日々の愚直で地道な努力だけで培うことができる、まさに私たち営業に従事する者にとって常に持ち続けたい感情のひとつです。

 この努力ベースの自信を育む具体的な方法は、今日自分が「○○ができた」ということを意識的に言語化することです。例えば、「今日は新規顧客に5件訪問または電話ができた」「A様の相続空き家の課題を、深くヒアリングできた」など、どんなに小さなことでも、「できた」或いは、「今日はそれに対して最大限、努力できたか?」と振り返り、言葉にして認識することです。

 この習慣を身につけることで、着実にこの2つ目の自信が蓄積されていくと気づきました。
真の自信とは、奢ることなく自分を信じ、主体的に歩み続ける力。私たち営業も、日々の努力を大切にし、この揺るがない自信を育てていきましょう。

 きっと、どんな状況でも前向きに進み続けられるはずです!

2025.08.19

花火

 最近の花火大会を見ていると、日本人の祭りに対する感覚が、この数年で少し変わってきたように感じます。以前は、夏の夜空を彩る一大イベントとして、街全体がそこに照準を合わせ、家族や友人が浴衣姿で繰り出すのが定番でした。しかし、コロナ禍を経て再開された花火大会は、単なる復活ではなく、新しい形に進化しているのです。

 まず目立つのは、花火大会の規模や形式の多様化です。大規模な人出を避けるために、打ち上げ場所や時間を直前まで非公表にする「ゲリラ花火」や、複数の小規模会場で同時開催する方式が広がりました。その結果、偶然空を見上げた瞬間に広がる花火の驚きや、生活圏の中でふと感じる季節感が、むしろ新鮮に映ります。


 さらに、近年の花火は技術面でも進化しています。コンピュータ制御による打ち上げタイミングの精密化や、LEDドローンと花火のコラボレーションなど、もはや伝統芸と先端技術の融合です。中でも、音楽と完全にシンクロする「ミュージック花火」は、観客の感情を一気に引き込み、まるで夜空に描かれるライブパフォーマンスのような迫力を生み出しています。


 一方で、運営側の課題も少なくありません。安全対策や交通規制、警備体制の強化はもちろん、地元住民への配慮も求められます。花火の轟音や人の流れは、時に生活環境への負担ともなり得ます。だからこそ、地域と共生する形での開催が重要であり、そこには運営者の創意工夫と住民との対話が欠かせません。


 私たちが花火を見上げる時間は、せいぜい数十分。しかし、その裏には、長期間にわたる準備と多くの人々の協力があります。そして、その一瞬の美しさを共有することで、人々の心が緩やかにつながり、日常の延長線上に小さな奇跡が生まれるのです。


 最近の花火は、ただの夏の風物詩ではなく、時代の変化や人々の価値観のシフトを映す鏡でもあります。形は変われど、その魅力は変わりません。夜空に咲く一瞬の光が、また来年への期待を灯すのです。