アキバのつぶやき

2026年02月

2026.02.02

不動産営業に潜む、やる気ブレーキ

 不動産営業は、やる気の世界だと思われがちです。行動量、根性、数字への執念。営業成績は努力の結果であり、成果が出ないのは本人の意欲不足だと語られることも少なくありません。

 しかし、京都大学が発表した「やる気ブレーキ」の研究を読むと、この常識がいかに単純化された理解であるかが見えてきます。人は本来、やる気がないから動けないのではありません。むしろ、やる気があるからこそ、失敗のコストを計算し、行動を抑制する。
 
 脳の中には、アクセルだけでなくブレーキが存在する。京都大学の研究は、そのブレーキ回路が「嫌な課題」や「ストレスを伴う行動」に対して強く働くことを示しました。

 それでは、
不動産営業の現場に置き換えてみましょう。新規開拓の電話、飛び込み訪問、価格交渉、クレーム対応。これらはすべて、心理的負荷を伴う行為です。多くの営業マンが行動を先延ばしにするのは、怠慢ではなく、脳が合理的にブレーキを踏んでいる結果だと言えるでしょう。

 問題は、このブレーキを「気合い」で突破しようとする組織文化にあります。根性論は一時的にアクセルを踏ませることはできても、ブレーキそのものを取り除くことはできません。むしろ、精神的負荷が増すほど、ブレーキは強化され、行動はますます困難になります。結果として、営業組織は疲弊し、離職率だけが高まる。

 優れた営業組織は、やる気を煽る前に、ブレーキを軽くする設計を行います。例えば、商談プロセスの分解、成功確率の可視化、失敗の許容範囲の明確化。行動の心理的コストを下げる仕組みをつくることこそが、戦略なのです。

 不動産営業の本質は、個人の意欲ではなく、行動を促す構造にあります。営業力とは、アクセルの強さではなく、ブレーキをどう設計するかの問題なのかもしれません。やる気を問い続ける組織は、往々にして戦略を欠いています。 京都大学の研究は、不動産営業を「精神論」から「設計論」へと引き戻す示唆を与えているように思います。

 今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.02.01

欲望の直結と、センスの欠如

 先日、東京大学の教授が逮捕されたというニュースを見ました。共同研究の見返りに、銀座のクラブや吉原のソープランドで接待を受けていたという、なんとも「ベタ」というか、昭和の汚職事件をタイムスリップさせたような話です。もちろん、法を犯したことの是非は論を俟(ま)ちません。

 ただ、私がこのニュースを聞いて真っ先に感じたのは、「あぁ、ここにも『センス』の欠如があるなぁ」という、一種の脱力感に近い感想です。

 1. 「知の権威」と「市場の欲望」のミスマッチ今回の事件の本質は、大学が「社会連携講座」という名の下に、学術的な権威を民間資金と交換する仕組みの中にあります。これ自体は、今の国立大学が置かれた「自ら稼げ」というプレッシャーを考えれば、戦略的には真っ当な判断です。

 でも
、そこに介在する個人のインセンティブ設計が完全にバグっていた。件(くだん)の教授は、自らの専門性という「ストック」を、高級クラブの接待という極めて「フロー」な欲望に直結させてしまった。本来、アカデミアの世界に身を置く人間にとっての最大の報酬は「研究の自由」や「知的なインパクト」であるはずなのに、それをあっさりと「銀座の夜」に換金してしまったところに、インセンティブの強烈なミスマッチがあります。

 2. 公私混同という「センス」の問題私が常々申し上げているように、仕事において最も大切なのは「センス」です。スキルは教えられますが、センスは教えられない。今回の佐藤容疑者に欠けていたのは、「公」という舞台で「私」の欲望をどう飼い慣らすか、というバランス感覚としてのセンスです。「みなし公務員」という立場は、社会から「公の信頼」という無形の資産を託されている状態。それを、業者を脅して風俗店を予約させるという「私」の醜悪な振る舞いで浪費する。これはもう、戦略論以前の、人間としての「趣味の悪さ」の問題です。

 3. 「見なし」の鎖が届かない場所「自分は公務員ではない、民間から金を引っ張ってきた功労者だ」という過剰な自意識があったのかもしれません。しかし、制度というものは非情です。今回彼を縛り上げたのは、他ならぬ「みなし公務員」という法的な縛りでした。彼は「学問の自由」という特権を享受しながら、その裏側にある「公的な責任」というコストを支払う覚悟がなかった。 おいしいところだけを食おうとして、結局は喉に骨を詰まらせたわけです。

 結局のところ、どんなに立派な組織改革をしても、個人の「センス」が欠けていれば、欲望は最短距離で暴走します。東大の藤井総長が「痛恨の極み」と仰るのも分かりますが、本質的な再発防止策は、ガバナンスの強化以上に「センスの悪い人間を重用しない」という、極めて主観的で、かつ最も難しい人事の選審にあるのかもしれません。……と、私のような人間が偉そうに言うのも何ですが、やはり「夜の街」の支払いは自分の財布でするのが、一番ぐっすり眠れるということだけは確かです。

 今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。