アキバのつぶやき
2026.01.29
髪の色が語っているのは、思想ではなく立ち位置です
今月27日に衆議院議員選挙の公示が行われ、党首がメディアにあつまり、討論していました。それぞれに党の掲げる公約や主張を繰り広げていましたが、私はその内容よりも、野党女性党首の髪の毛の色が、いずれも茶色であったことが気になりました。
共産党の委員長や、れいわ新選組の共同代表を見ていて、ふと気づくことがあります。髪の色が、いわゆる「政治家らしい黒」ではなく、やや茶色い。この違和感は、実はなかなか示唆的です。
もちろん、そこに思想的な必然性はありません。共産主義だから茶髪、反体制だから染めている、という単純な話ではございません。これは思想ではなく、記号の選択です。
日本政治において、長い間「黒髪・濃紺スーツ・硬い表情」は、信頼と権威の象徴でした。国家を背負う者の記号として、非常に分かりやすかった。しかし今、その記号は少し古びて見え始めています。若い世代にとって黒髪は、安心よりも、既得権や昭和的価値観を連想させる場合があります。
共産党やれいわが担っている役割は、明確です。既存の権力構造への批判であり、中央の論理からこぼれ落ちた声を拾うこと。その立ち位置において、威圧感や「先生感」はむしろマイナスになります。
彼らの主張は、実はかなり強い。分配、国家、経済の再設計。中身は十分にラディカルです。だからこそ、外見まで強くすると、受け手は身構えてしまう。思想を通すために、見た目を柔らかくする。ここには、無意識というより、時代適応があります。
今の政治は、正しさを競う場ではなく、共感を獲得する場です。上から語る指導者より、「隣で同じ怒りを共有する人」が求められている。茶色い髪は、その距離感を縮めるための調整弁です。髪の色は政策を語りません。
しかし、その人が「誰として話したいのか」は雄弁に語ります。黒でも茶でもなく、問われているのは、どの地平に立って言葉を投げるのか。その選択が、今の政治には以前にも増して重くなっているように思います。
今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。