アキバのつぶやき
2025.12.13
米ではなく熊になった
今年の漢字が「熊」に決まったというニュースを見て、なるほどなあと思いました。山に住む大きな動物が、いまや都市近郊にも堂々と出没する時代です。単なる生態系の話ではなく、人間側の「生活の設計」と「時間の使い方」が揺れている象徴のようにも感じます。
一方で、今年は「米(こめ)」が来るのではないかと予想していた方も多かったでしょう。お米券の議論、米価の乱高下、各地の不作といったニュースが続いたからです。しかし結果は「熊」。ここには、事象の“量”ではなく、人々の心に残った“質”が反映されています。
「感情のヒット率」の高さが勝負を決めた、というところでしょう。「米」は生活の基盤として確かに大切です。そこに文句のつけようはありません。ただ、お米の話は概して「構造的な課題」の領域に入ります。気象変動、農政、需給調整など、論点が多く、じっくり腰を据えなければ語れません。人々の心に“瞬間的に”刺さるというよりは、長期的に効いてくるテーマです。
対して「熊」は、一匹の目撃情報が一気に全国の話題になります。「また出たのか」「どうしてこんな場所に」という驚きが、まさに“物語性”を伴って届きます。人間の生活圏と自然の境界が曖昧になっていることを、象徴的に示している出来事です。ヒットコンテンツの条件は「意外性と納得感の同時成立」だとよく聞きますが、「熊」にはそれがありました。「そりゃそうだよな」と「まさかね」が一緒に訪れるのです。
今年の漢字が「米」ではなく「熊」だったという結果は、世の中の受け止め方における“重心の移動”を映し出しているように感じます。「日々の暮らしに関わる地続きの不安」と「突発性のショック」。この二つの間で、私たちの注意の配分は常に揺れているのです。
来年の漢字がどうなるかは誰にもわかりません。ただ、一つだけ言えるのは、こうして毎年選ばれる一文字が、社会の“思考の座標軸”を静かに教えてくれているということです。「熊」が選ばれた今年は、人と自然、人と社会の境界線をもう一度引き直す年だったのかもしれません。