アキバのつぶやき

2025.12.09

キャバクラと政治資金

 政治資金でキャバクラ代を支払っていた、という話を聞いて、まず思うのは「それは違法かどうか」ではなく、「それは美しいかどうか」という問いでした。制度はグレーでも、感覚としてアウトなものは、だいたいアウトなのです。

 政治資金とは、本来「公のために集められたお金」です。つまり、それは「私」のお金ではなく、「私たち」のお金です。そのお金を、私的な享楽に近い場所で使う。これは会計の問題というより、想像力の問題だと思います。自分が使った一万円の向こう側に、顔も名前も知らない誰かの努力や期待がある、という想像力です。

 尊敬している経営学者の楠木さんなら、おそらくこう言うでしょう。経営でも政治でも、本当に怖いのは不正そのものではなく、「鈍感さ」だと。悪意がある人はまだ救いがあります。自覚があるからです。

 厄介なのは、「これくらい普通だろう」と思ってしまう無自覚です。倫理が壊れる瞬間は、たいてい大きな決断ではなく、小さな「まあいいか」の積み重ねで起きます。
キャバクラが悪いわけではありません。仕事帰りに一杯飲んで、人に癒される時間もまた、人間らしさの一部です。

 ただし、それを「誰のお金でやっているのか」という一点で、世界はまったく違って見えます。
公と私の境目は、法律の条文よりも先に、「ここは越えたら格好悪い」という内側の線で決まります。その線が引けなくなった組織や人は、いずれ制度の隙間ではなく、信頼の崖から落ちていきます。

 政治家に求められているのは、清廉潔白な聖人性ではありません。ただひとつ、「これは自腹で払おう」と自然に思える感覚です。その感覚が残っている限り、民主主義は、まだギリギリ大丈夫だと思うのです。

  忘年会シーズンです。自腹なら欠席、会社の経費なら参加するという社員もいると聞きます。その心の色にその会社の未来がうっすらと浮かび上がります。

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