アキバのつぶやき
2025.12.05
うなぎ
私は、うなぎは年に一度食べるか食べないかで、あまり好物ではございません。先日、鰻の輸入規制が強まるというニュースを見ました。
世間の鰻好きにとっては、あぁ、またひとつ、季節の楽しみが遠ざかるのかな。そんな気持ちが胸の奥に、ニョロっと細い線が引かれました。
けれど、よく考えてみると、うなぎは私たちが勝手に“いつでも食べられるもの”と思っていただけで、本当は気まぐれな自然の恵みなのですよね。生き物が相手なのだと思い直しました。
それでふと、落語の「しわい屋」という演目があるのを知りました。
それでふと、落語の「しわい屋」という演目があるのを知りました。
その噺では、しわい屋の店先で焼かれるうなぎの、あの香ばしいにおいだけを味わって、持参したご飯を食べて帰ろうとする客が出てきます。しわい屋の店主は、そんな客に向かって「におい代を払え」と言ってくる。なんとも小うるさいけれど、どこか憎めない人物です。
でも、においにお金を払うなんて、普通なら誰も考えません。そういう“あり得ない話”が、落語の心地よさでもあります。
とはいえ、しわい屋の店主が「においにも値段がある」と言ったとき、その言葉が妙に頭に残りました。私たちが「ただ」と思って味わっているものにも、実はどこかで誰かが負担をしていることがあるのかもしれません。
うなぎの輸入規制の話も、そういう感覚に似ています。お店でふんわり漂うタレのにおい。土用の丑の日の風景。それを“当然の夏の楽しみ”として受け取ってきた私たちのほうが、もしかしたら、しわい屋の店先でにおいだけ楽しんでいく客に近かったのではないか。そんな気がしたのです。
もちろん、誰が悪いとか、何がいけないとか、そういう話ではありません。ただ、うなぎが減っているのだとしたら、私たちのほうも少し足元を見る必要があるのでしょう。
来年は、土用の丑の日に「必ずうなぎを」とは思わないでみる。その代わりに、香ばしいにおいを想像しながら、季節の移ろいにそっと耳を澄ませてみる。そういう夏の過ごし方があってもいいのかもしれません。
しわい屋の店主が言いたかったのは、“においも価値のひとつだ”ということでした。
ならば、私たちもまた、うなぎという生き物の価値を、においより深いところで感じ直す時期に来ているのだと思います。