アキバのつぶやき

2025.12.04

奇跡のバックホーム”をめぐる動的平衡

 野球という競技は、静と動が交互に訪れる、不思議な時間の流れを持っています。多くの時間は、ただ静かに進む。投手が静かに呼吸し、打者がその一球を待つ。しかし、わずか数秒のうちに、世界の重力がすべて移動する瞬間があります。

  その凝縮された瞬間に、人は人生の全てを投影してしまいます。2019年9月26日、鳴尾浜。阪神タイガース、横田慎太郎さんの引退試合。センターへ飛んだ打球を、彼は確かに追っていた。視界は完全ではなかったと言われています。脳腫瘍による後遺症で、外野の景色はぼやけ、歪み、揺れて見えたはずだ。その曖昧さを想像するだけでも、胸の奥が痛む。

 それでも、彼は打球に向かって走り出した。力強く、しかし静かに。
その姿は、まるで生命そのものの姿でした。生命は、完全な状態にとどまることができません。
絶えず壊れ、絶えず作り直される。
その連続の中で、私たちは生きているのです。

 福岡伸一が“動的平衡”と呼ぶその原理が、まさにあの一瞬に凝縮していたのです。
 捕球し、そして迷いなくホームへ返したノーバウンド送球。あの一球は、偶然ではないのです。彼が積み重ねた無数の練習、時間、汗、仲間の声援。
 
 それらすべてが、ひとつの軌跡として結晶化したものなのです。 奇跡とは、何も説明不可能な現象のことではない。長い時間の連続が、ある瞬間に形になること。それが私たちの胸を震わせる。

 横田さんは28歳で生涯を閉じました。
 生命は不均等で、理不尽で、脆い。しかしだからこそ、私たちは一つ一つの瞬間を尊く感じるのかもしれません。野球場でのバックホームは、単なるプレーではなかった。それは、私たちがこの世界に生きているという事実そのものでした。

 壊れていく細胞、作り直される細胞。失われていく時間、積み重ねられる時間。希望と絶望、光と影。そのすべてが動的平衡の中で揺らぎながら、ひとりの青年を通して形を得たのです。

 人はいつも、完璧な視界の中で生きているわけではございません。ぼやけ、歪み、揺れている世界を、それでも前へ進むしかないのです。そのとき、私たちを支えるのは、経験でも才能でもないのです。

 生きようとする意志なのです。

 横田慎太郎さんの「奇跡のバックホーム」は、私たちの中で静かに生き続けるのです。それは、生命が壊れ続けながら、それでも決して止まらないという事実の、かけがえのない証明にほかならないのです。
 
 ですから、私たちは少しづつ、少しづつ、前に進もうではないですか! 横田さん全力で臨む姿をありがとう。

 ご冥福をお祈りいたします。

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