アキバのつぶやき

2025年12月

2025.12.29

2025年仕事納めに思う

 春になると、毎年同じ場所に同じ花が咲きます。唐の詩人・劉希夷の「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」という言葉は、見た目は変わらないが、本質は静かに変わり続けているという世界の真理を突いているともとれます。

 不動産市場ほど、この言葉がしっくりくる分野もありません。
2025年を迎えた日本の不動産市場も、一見するといつも通りです。分譲住宅が売り出され、建売のチラシが入り、駅前の再開発も進んでいます。花は確かに、例年と同じように咲いている。

 しかし、その根の部分、つまり建築コストと土地価格は、明らかに別物になっています。
建築コストは、ここ数年で「上がった」というより、「戻らない水準に移行した」と見るべきでしょう。

 資材高、人件費高、職人不足。これは一過性のインフレではなく、構造変化です。元に戻る前提で議論している限り、判断を誤ります。
一方、土地価格は二極化が進んでいます。都心や利便性の高いエリアは上がり続け、その他は横ばい、あるいは実質下落。土地は同じように見えて、実は全く違う商品になっています。

 ここでも「花は似ているが、土は違う」という状態が起きているのです。
不動産業界の現場にいると、「昔はこの価格で建てられた」「このエリアは以前も売れた」という声をよく聞きます。しかし、それは過去の成功体験という名の幻想です。

 
人は同じではない。市場も同じではない。にもかかわらず、花の見た目だけを見て判断してしまう。2025年の不動産ビジネスで問われているのは、価格の高低ではありません。このコスト構造、この土地条件で、顧客にとっての合理性はどこにあるのか。そこを考え抜けるかどうかと思うのです。

 花は2026年も咲きます。しかし、その花を支える土壌は確実に変わっている。不動産業に携わる私たちは、花を語る前に、まず地面を掘る必要があるのではないでしょうか。

 年々歳々、花は似ている。けれども、その下にある現実は、もう同じではありません。本日をもって、アキバホームの仕事納めとなります。新年を迎えて2026年1月5日は、仕事始めです。新たな思考と気持ちで、さらなる飛躍を目指していきたいです。

 皆様、2025年も大変お世話になりました。良いお年をお迎えください!

2025.12.28

イップスについて

 本年は、レジェンドの訃報を多く耳にしました。野球界では長嶋茂雄氏。サッカー界では釜本邦茂氏。そしてゴルフ界では、尾崎将司氏です。それぞれの分野に一流と呼ばれ天才と揶揄される人が、それぞれの時代に存在します。

 そんな中、ゴルフの世界で語られる「イップス」は、しばしば技術の問題として扱われます。しかし、ジャンボ尾崎氏の言葉や経験を振り返ると、イップスの正体は技術ではなく「心」にあることが分かります。

 正確に言えば、結果に意味を与えすぎてしまうことが原因です。本来、1メートルのパットは物理的には変わらない距離です。しかし、「これを外したらどうなるか」という意味が過剰に乗った瞬間、その1メートルは別物になります。体は動くのに、手が言うことをきかなくなる。これは能力の欠如ではなく、意味の暴走です。

 この構造は、営業の現場でもまったく同じです。営業成績が落ち始めたとき、多くの人は「トークが悪い」「提案が弱い」と原因を外に求めます。しかし実際には、過去の失注体験や、上司からの苦言や仲間からの失笑が心の中に残り、次の商談で無意識のブレーキをかけてしまうケースが少なくありません。

 「また断られるかもしれない」、「嫌なことを言われる」という思考が、声のトーンや間の取り方に表れてしまうのです。
ここで重要なのは、イップスを「克服すべき敵」として扱わないことです。ジャンボ尾崎氏が示しているのは、もっと単純で、しかし厳しい態度です。

 外してもいい。断られてもいい。それでも打つ。それでも会いに行く。これは精神論のようでいて、実は極めて合理的です。結果に過剰な意味を与えないためには、「失敗しても世界は続く」という前提に立つしかありません。

 入れにいくパットほど入らないのと同じで、売ろうとする営業ほど売れなくなる。どちらも「当てにいく」姿勢が、パフォーマンスを壊します。
営業において本当に重要なのは、勝率を上げることではなく、勝負から降りないことです。

 ジャンボ尾崎氏が何度も復活してきた背景には、結果よりも行為を続けるという一貫した態度があります。
イップスとは、弱さの証明ではありません。むしろ、真剣に勝負してきた人だけが直面する現象です。

 だからこそ、避けるべきものではなく、構造として理解すべきものなのです。
営業もゴルフも、最後に残るのは同じ結論です。振り切ること。意味を乗せすぎないこと。そして、続けること。それが、イップスと共に生きるための、最も現実的な戦略ではないでしょうか

2025.12.27

説明について雑感

 先日、京都法務局に出向いたときに、来年一月より登記台帳の申請費用が変更されるという説明を受けました。私の理解力が足りないのですが、全く理解できず、その場を繕いました。私の偏見だと思いますが、どうも国の説明はどの分野でも理解できにくいのが多いと思うのです。年金は最たるものです。わざと解りにくくしているのかと思うほどです。

 さて、不動産の取引でも、「分かりやすくしてほしい」と言われやすい分野はありません。重要事項説明書、契約書、法令制限、ローンの条件。説明する側は真面目に話しているのに、聞く側は途中から思考停止してしまう。これは能力の問題ではなく、設計の問題です。

 不動産の説明が分かりにくくなる最大の原因は、「全部説明しようとすること」にあります。宅建業法上、説明すべき事項が多いのは事実です。しかし、説明すべきことと、理解してもらうべきことは同義ではありません。ここを取り違えると、説明は一気に難解になります。

 分かりやすい不動産説明の第一歩は、「この物件で一番大事な判断軸は何か」を一つに絞ることです。たとえば、「この物件は資産としてどうか」「住み心地はどうか」「将来売れるか」。

 すべて重要ですが、同時には理解できません。ですので、商談のたびに、今日はどれを持ち帰ってもらうのか。そこを決めるだけで、契約時の重要事項説明の骨格が定まります。

 次に必要なのは、「知らなくても困らない情報」を意識的に後ろへ回すことです。 用途地域や建ぺい率・容積率は重要ですが、購入者が何を実現したくて、この物件を購入しようとしているのか、最大の重要事項です。

 「この物件では、あなたの実現したい夢と建築物は可能です」。
ここが腹落ちすると、細かい数字はあとから自然に入ってきます。
不動産説明も「因果を一本にする」作業です。価格が高い理由、安い理由。便利なのに売れ残っている理由。何か一つ、納得できるストーリーを提示することです。

 さらに重要なのは、説明のゴールを「理解」ではなく「次の行動」に置くことです。良い不動産説明とは、「分かりました」で終わる説明ではありません。「もう一度現地を見たい」「家族に相談したい」「ローンの事前審査をしてみたい」。この一歩が自然に出てくるかどうかが成否を分けます。

 最後に、不動産説明で最もやってはいけないのは、「専門用語で安心させようとすること」です。専門用語は信頼を生むどころか、距離を生みます。信頼は、難しい言葉ではなく、シンプルな因果から生まれます。

 不動産の説明が分かりやすいとは、親切に全部話すことではありません。相手が判断するために必要な一本の軸を示し、そこから外れる情報を勇気をもって削ることです。説明とは、情報提供ではなく、意思決定の設計なのです。

2025.12.26

レジェンド

 ジャンボ尾崎氏の訃報に接し、「レジェンド」という言葉について、あらためて考えさせられました。
ジャンボ尾崎」正式には尾崎将司氏。日本ゴルフ界において、この名前を知らない人はいないでしょう。通算113勝。数字だけを見ても異常値です。

 しかし、ジャンボ尾崎の本質は、勝利数の多さそのものではありません。むしろ、彼が長い時間をかけて築き上げた「物語」にこそ、レジェンドたる所以があります。
ビジネスの世界でもそうですが、レジェンドとは単なる成功者ではありません。一時代を象徴し、その時代のルールや価値観そのものを変えてしまう存在です。

 ジャンボ尾崎は、日本のゴルフを「趣味の延長」から「プロが職業として成立する世界」へと引き上げました。賞金額、トレーニング、プロ意識。どれも彼が基準を引き上げた結果です。
興味深いのは、ジャンボ尾崎が「孤高」であり続けた点です。弟子は多く育てましたが、決して迎合しない。派閥にも属さず、流行にも流されない。

 これは戦略論で言えば「非対称性の徹底」です。周囲と同じことをしないからこそ、比較不能な存在になった。レジェンドとは、比較されない人のことなのです。
また、彼は勝ち続けること以上に「衰えをさらすこと」から逃げませんでした。年齢を重ねてもツアーに出続け、勝てなくなった自分を引き受ける。

 その姿勢は、成果主義が行き過ぎた現代において、むしろ重みを増して見えます。レジェンドとは、成功の頂点ではなく、成功から下る坂道も含めて語られる存在なのだと思います。

 ジャンボ尾崎の訃報に触れて感じるのは、ひとつの時代が終わったという感慨と同時に、「もう同じタイプのレジェンドは生まれにくいだろう」という現実です。

 効率化、最適化、データ重視の時代において、破天荒で、個の圧力だけで時代を動かす存在は、構造的に生まれにくい。
だからこそ、ジャンボ尾崎はレジェンドなのです。再現性がない。教科書にしても、その通りやっても同じ結果にはならない。その不可解さ、説明不能さこそが、レジェンドの条件なのだと思います。

合掌。

2025.12.25

カリスマ創業者

 ニデックの創業者である永守重信氏が、突然、経営の第一線から退くというニュースがありました。多くの人が驚いたと思いますが、私はこの出来事を「事件」としてではなく、「必然」として見たほうが理解しやすいのではないかと感じています。

 永守氏は、日本の経営者の中でもきわめて例外的な存在です。強烈な意思、圧倒的な行動量、そして細部にまで及ぶ執念。ニデックという会社は、良くも悪くも、その人格がそのまま組織化された企業でした。創業者経営とはそういうものですし、むしろそれがあったからこそ、ニデックは世界企業になったのだと思います。
 
 しかし、創業者の強さは、ある段階から「強み」と「制約」の両方になります。創業者が正しすぎると、組織は学習しにくくなる。判断が速すぎると、周囲は考える前に従うようになる。これは能力の問題ではなく、構造の問題です。

 今回の辞任が示しているのは、経営の成否ではなく、経営のフェーズが変わったという事実でしょう。創業者が前に立って引っ張る段階と、組織が自律的に回る段階は、必要とされるリーダーシップがまったく異なります。両方を同じ人が完璧にやるのは、ほとんど不可能です。
 
 ここで重要なのは、「後継者が誰か」よりも、「創業者がいない状態で、意思決定が回るかどうか」です。個人のカリスマに依存していた企業ほど、この移行は難しい。だからこそ、辞任は遅すぎても、早すぎてもいけない。
 
 永守氏の辞任は、ニデックにとってのリスクであると同時に、最大のチャンスでもあります。創業者の影から自由になったとき、会社は初めて自分自身の実力を問われる。ここを越えられるかどうかで、ニデックが「偉大な創業者の会社」で終わるのか、「創業者を超える組織」になるのかが決まる。

 創業者が去るとき、その企業は成熟するか、弱体化するか、どちらかです。永守氏の突然の辞任は、その分岐点が、いまここにあるということを静かに示しているのだと思います。

2025.12.23

冬至

 昨日は冬至でした。一年でいちばん昼が短い日です。 
冬至というと、「これから日が長くなる」とよく言われます。たしかに暦の上ではそうなのですが、体感としては、まだまだ寒さはこれからが本番です。

 明るくなる感じもしないし、気分が急に前向きになるわけでもありません。 でも、冬至には不思議な安心感があります。「いちばん底の日」だと、はっきり決まっているからです。

 ここから先は、少しずつですが、必ず昼は長くなっていく。その事実が、静かに背中を支えてくれます。かぼちゃを食べたり、ゆず湯に入ったりするのも、無理に元気を出すためではなく、「ちゃんと今日を越えましたよ」という合図のようなものなのかもしれません。

 理由を細かく知らなくても、毎年同じことをするだけで、季節と足並みがそろいます。冬至は、何かを始める日というより、「折り返し地点に来ました」と確認する日と思います。派手な節季ではありませんが、だからこそ、生活の中にすっとなじむ。昨日は特別なことはせず、早く暗くなる空を見て、「ああ、今日は冬至か!」と思うだけでした。それで十分です。

 寒さの底に立っていると知るだけで、人は案外、落ち着いていられるものです。

2025.12.22

フラット35の限度額増額をどう考える!

 フラット35の限度額が1.5倍になるというニュースは、不動産業界・住宅業界に身を置く人間にとっては、正直なところ「助かる話」です。成約のボトルネックが一つ外れるからです。買いたい人が増えるのではなく、「買える人」に見える人が増える。この違いは小さいようで、本質的です。

 ここ数年、住宅価格はじわじわと、しかし確実に上がっています。建築費、人件費、資材価格。どれも下がる理由がありません。その一方で、実需層の所得が劇的に伸びているわけでもない。結果として現場では、「物件はあるが、通らない」「欲しいが、届かない」という宙づり状態が常態化しています。

 そこに限度額1.5倍です。これは需要喚起というより、需給のズレを金融で埋めにいく施策と見るべきでしょう。業界的には、成約率が上がり、価格調整をせずに済む。短期的には歓迎すべき話です。ただし、ここに構造的な危うさもあります。

 不動産業界は、価格が上がるときほど「売れる理由」を制度のせいにしがちです。金利が低いから、制度が拡充されたから、という説明は、お客様にとって分かりやすい。しかしそれは、物件そのものの価値ではなく、借りられる力に依存した売り方でもあります。

 金融の下支えがあるうちは、市場は静かに回ります。しかし、もし金利環境が変わったらどうなるのか。限度額が広がった分だけ、出口の選択肢は狭くなる。中古市場での流動性、買い替え耐性、そして担保価値。これらは、後になって効いてきます。

 不動産業界にとって本当に必要なのは、「いくらまで借りられますか」という話よりも、「この物件は、環境が変わっても持ち続けられますか」という問いを提示することではないでしょうか。制度に背中を押されて売るのは簡単です。しかし、信頼を積み上げるのは、いつも逆風のときです。

 フラット35の限度額1.5倍は、業界にとっての追い風であると同時に、足腰を試す風でもあります。その風にどう向き合うかで、不動産業者の真価が問われているように思います。

2025.12.21

口は禍の元だけですませてはいけない!

「核を持つべきだ」という発言は、あまりに強い言葉なので、つい是非論に引きずられます。しかし、戦略論として重要なのは賛成か反対かではなく、「なぜその言葉が出てきたのか」を考えることが、大切です。 

 核武装論は、究極の手段を語っているようで、実は“手詰まり感”の表明でもあります。通常戦力、同盟関係、外交努力、それらが十分に機能しているという実感があれば、核という選択肢はそもそも俎上に載りにくい。核の話題が出るということ自体、既存の安全保障のストーリーが説得力を失っている兆候なのだと思うのです。

 戦略とは、選択肢を増やすことではなく、選ばなくて済む状況をつくることでもあるのです。核は選択肢の中で最も重く、最も取り返しのつかないカードです。それを「持つか持たないか」で議論している時点で、戦略の議論としてはかなり拙いとしか言えません。

 本当に問うべきなのは、「日本はどのような前提条件のもとで安全を設計してきたのか」、そして「その前提は今も有効なのか」という一点です。核を語ること自体が目的化した瞬間、戦略は感情論に変わります。強い言葉ほど、思考停止を誘います。

 だからこそ、こういう発言に接したときほど、いちばん静かな問いを立てる必要があると思うのです。

2025.12.20

毎年の定番!

 クリスマスが近づくと、テレビの編成表が、そっと同じ顔を見せてくる。

 ああ、今年も来たな、と思う。その顔はだいたい『ホーム・アローン』だ。
この映画は、観るための映画というより、「確認するための映画」なのかもしれない。ケビンがひとりで家に残されて、あの音楽が流れると、「あ、今はもう年末だ」と身体のほうが先に理解する。頭で考える前に、季節が合図を出してくる感じ。

 子どものころは、いたずらの痛快さだけを観ていた。ペンキ缶がぶつかって、泥棒がひっくり返る。そのたびに、笑った。でも大人になって観ると、笑いの背景がちょっと違って見える。
 
 あれだけ大人数で移動して、ひとり足りないことに気づかない。これはコメディだけど、集団というものの、案外あてにならなさも描いている。それでも、この映画はやさしい。
 
 最後には、ちゃんと家族が戻ってくる。家は壊れかけても、関係は壊れない。そこが、毎年繰り返しても耐えられる理由なんだと思う。毎年同じ映画が流れるというのは、変わらないようでいて、実は少しずつ意味が変わっている。観ているこちらが変わるからだ。だから『ホーム・アローン』は、毎年「初見」でもあり、「再会」でもある。
 
 クリスマスは特別なことをしなくてもやってくる。でも、こういう決まりごとがあると、人はちゃんと立ち止まれる。今年もここまで来たね、と自分に言える。ケビンは今年も一人で家を守る。そして私たちは、それを横目に見ながら、静かに一年をたたむ準備をする。

 たぶん、それでいい。

2025.12.19

年収の壁は撤廃できないのだろうか?

 年収の壁が178万円まで引き上げられることで、自民党と国民民主党の税制調査会長が合意した、というニュースが流れました。数字だけを見ると、また少しややこしい話が増えたな、という印象を持つ人も多いかもしれません。

 しかし、こういう制度変更は、たいてい「理屈」よりも「現場」で効いてきます。私はいつも、そこがいちばん大事だと思っています。年収の壁というのは、制度としてはとても人工的なものです。ある金額を一円でも超えると、手取りが減る。働いた分だけ報われない、という奇妙な段差が存在してきました。
 
 その結果、多くの人が「これ以上は働かないほうが合理的だ」という判断をしてきたわけです。これは怠けでもズルでもなく、きわめてまっとうな意思決定です。
今回、その壁を178万円まで引き上げるという合意は、少なくとも「働きたい人が、働くことをためらわなくてよい」方向に一歩動いた、という意味では評価できると思います。

 重要なのは、これが減税かどうかという議論ではありません。人の行動がどう変わるか、です。
企業経営の世界でも同じですが、人はインセンティブに極めて素直に反応します。制度設計が「やらない方が得」になっていれば、人はやりません。逆に、「やった方が自然に得」になっていれば、わざわざ号令をかけなくても動きます。

 年収の壁とは、まさにその典型でした。
ただし、ここで安心してはいけません。壁を動かすたびに、また別の場所に新しい壁ができる。制度をパッチワークのように直していく限り、この問題は形を変えて残り続けます。

 本来問われるべきは、「なぜ壁が必要なのか」という設計思想そのものです。
178万円という数字は、ゴールではなく、通過点です。大切なのは、この合意をきっかけに、「人が自然に働ける制度とは何か」を考える議論が始まるかどうか。そこにこそ、このニュースの本当の価値があるのだと思います。いろいろな壁が世の中には存在します。壁は出来るだけ無いほうがいいとおもうのですが、いかがでしょうか。