アキバのつぶやき
2025.09.07
ただ乗りを許せない理由
先月でしたでしょうか、キセル乗車の常習犯が逮捕されたという事件。驚いたことに、そのグループは、「大宮赤ラン軍団」と呼ばれる「撮り鉄」グループの大学生で、常習的に不正乗車を繰り返していたということです。本当にこういう事件は、怒りを強く感じます。
そして、社会の中で生活していると、「あの人はただ乗りしているのではないか」と感じる瞬間に出会うことがあります。たとえば、職場で誰かが皆の努力に便乗して、成果だけを享受する場面や、地域活動で一部の人が労力を負担し他の人が享受する場面などです。人はなぜ、この「ただ乗り」に強い嫌悪感を抱くのでしょうか。
第一に、公平感の侵害があります。人は、自分が負担しているのに他者が負担せず利益を得ていると、「ずるい」という感情を抱きます。この感情は単なる嫉妬ではなく、公平性を守るための根源的な反応といえます。
第二に、信頼関係の破壊です。共同体は、互いに支え合うという暗黙のルールに基づいて成り立っています。にもかかわらず、ただ乗りをする人はそのルールを破ってしまうため、「この人とは一緒にやっていけない」と感じさせてしまうのです。
第三に、自尊心の問題があります。自分が律儀に責任を果たしているのに、他人は何もせず利益を受け取る状況は、「自分の誠実さが利用されている」と感じさせます。その結果、不快感はさらに強まります。
第四に、集団の持続性への不安もあります。もし皆がただ乗りを許すなら、誰も努力しなくなり、集団や制度は維持できません。これを本能的に察知するからこそ、一人のただ乗りも許したくないという心理が働くのです。
結局のところ、ただ乗りを忌み嫌う心理は、単なる感情的な反応ではなく、公平性や信頼、自尊心、そして集団の存続を守ろうとする人間の本能に根差しているのです。だからこそ、私たちは日常のさまざまな場面でこの感情を経験するのでしょう。
フリーライダーの存在を見抜けず、放置している組織は、「千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ」を肝に銘じて、対応を怠ってはいけないですね。