アキバのつぶやき

2025年07月

2025.07.31

本質を見抜くには!

 本質を見抜くには、どうすればよいのでしょうか。最近、そんなことをよく考えるようになりました。何かを選ぶとき、ニュースを見たとき、誰かと話すとき。ふとした瞬間に「これはどういうことなのだろう」と、自分の中で立ち止まる時が多くなりました。これはこれで私は評価しております。すぐに反応して感情的に言葉を発することほど愚かなことはないと、強く自身に言い聞かせているので、安堵しています。

 
 たとえば、働き方改革という言葉を耳にすると、私は「それは誰のための改革なのだろう」と考えてしまいます。便利で聞き心地の良い言葉ほど、現実の複雑さや矛盾を包み隠してしまうことがあります。ですから私は、その言葉の奥にいる「困っている誰か」の姿を想像するようにしています。

 日常の中にも、本質を感じる場面があります。以前は値段の安さでモノを選んでいましたが、最近は少し高くても長く使えるものに惹かれるようになりました。素材や作り手の背景、そして使い心地。表面には見えないものこそ、本質なのかもしれません。

 また、焦らずに観察することも大切だと思っています。すぐに答えを出さず、相手の言葉の行間を感じ、出来事の背後にある流れを静かに見つめる。そうした姿勢が、本質を見抜く感覚を養ってくれるのではないでしょうか。
 もちろん、私自身、何度も間違えます。見抜いたつもりでいたことが、実は早とちりだったと気づくこともあります。でも、間違いに気づき、考えを修正していけることもまた、本質を見抜く力の一部だと信じています。

 大事なのは「見抜こう」とする姿勢そのものなのかもしれません。枝葉に気を取られすぎず、物事の幹を見つめる。世の中も、人との関係も、自分自身も。そうやって静かに向き合った先に、ようやく見えてくるものがあるのだと思います。

2025.07.30

優遇

 自分は特別な扱いを受けていると思うと、それはそうだ!と思う人と、そんなわけないだろう!と思う人に二分されます。偶々、テレビで徳勝龍の優勝インタビューを観ました。


「自分なんかが、優勝していいのでしょうか?」


とても謙虚で、日本人好みの発言ですね。


ですが、内心では大半の方が、前者を認識されるのではないでしょうか。自尊心というものが、人の心の奥底に存在します。だからこそ、混沌のこの世に、なんだかかんだといいながら、生き続けることができるとも言えます。 


 最近、「外国人が日本で優遇されすぎているのではないか」という声をよく耳にします。確かに、住民税を納めていない外国人が無担保で起業資金を得たり、生活保護や医療制度を利用しているという話がメディアやSNSで拡散されると、不公平感を抱くのも無理はありません。


 ただ、少し立ち止まって背景を見てみましょう。まず、こうした制度は、戦後の日本が国際社会の一員として果たしてきた役割に根差しています。たとえば、外国人留学生への奨学金支援は、将来の国際的な架け橋になる人材を育てるという目的で始まりました。ある意味、外交戦略の一部でもあるのです。

 また、少子高齢化が進む日本において、労働力不足は深刻です。介護や農業、建設など、国内人材だけでは支えきれない分野が増え、外国人の力が不可欠になっています。そのため、生活基盤の整備や制度面での支援が強化されてきたという事情もあります。

 もちろん、制度の運用において不備や抜け穴があることは否定できません。とくに生活保護や健康保険などは、「準用」とされているにもかかわらず、実質的には日本人と同等の扱いがなされている例もあるようです。ここには、制度設計の曖昧さや行政の形式主義が影を落としています。

 ただ、本質的な問題は、「外国人が優遇されている」というよりも、「日本人が十分に支援されていない」ことなのかもしれません。日本人学生が奨学金で借金を背負う一方で、外国人留学生には給付型の支援が手厚くある。このギャップに、不公平感が募るのは自然なことです。
 
 こうした感情を一部の政党が「日本人ファースト」という形で表現し、有権者の共感を得たのも、ある意味では当然の流れと言えるでしょう。今こそ、冷静に事実を見つめ、制度の見直しを進める時ではないでしょうか。

2025.07.29

楽観とリスク管理

 未来に対して楽観的でいることは大切です。前向きな精神を常に持つ姿勢は、行動力を生み、また知恵が出てきます。そによって人を引き寄せ、新しいことに挑戦する機会を多く持つことが可能になるとおもいます。ですが、楽観だけでは足りないと、世間のニュースを見聞きしていると痛感します。

 株式投資の世界は正しくそうと思います。リスクを見ない楽観は、ただの無防備です。現実を直視し、想定外をも想定し、最悪に備える。それがリスク管理というものです。

 ですので、楽観とリスク管理は対立しないのです。むしろ両者は補い合う関係にあります。「うまくいく」と信じるからこそ、失敗に備える。「転ばない」と思う人ほど、ちゃんと靴紐を結ぶ。健全な楽観とは、現実に根ざした希望だ。

 
 先日の米国野球殿堂入りのイチローさんのスピーチの中で、「私は自分の道具を毎日自分で手入れしました。グラブのひもが緩んでミスをすることも、スパイクが汚れていてベースで滑ることも避けたかったからです。」のような内容がありました。まさしく、自分の能力に過信することなく、しっかりといいプレーができるように、他人に任せるのではなく、自分の目と手で道具を管理していたのです。これもリスク管理の一つといえます。




 自分が定めて目標に向かい、夢を実現するために、未来を明るく思い描きつつも、準備を怠らない。心には気高き理想を持ち、肉体では備えを粛々と行う。これが、前に進むためのバランスだと思い、自身の仕事に活かせていきたいです。

2025.07.28

あなたは、なぜ働くのですか?

 いきなり、質問されて困ることは、「なぜあなたは働くの?」という、問いではないでしょうか?
ある意味で「なぜ生きるのか?」に近いとも言えます。


 ですが私は、この問いに、より実務的にそして未来志向で答えたいと思います。

 私は第一義に働くとは、世間でいう単に報酬や対価を得る行為ではないと思います。自らの才能と時間を、社会への貢献と交換することだと思っています。そして、その交換比率が、給与であり、評価、自己実現になるのだと思います。ですので、働くとは、人生のポートフォリオ運用に他ならないのでないでしょうか。
 資本主義の本質は、資本が資本を生むことにある。だが、私たちの多くの人は、最初から資本を持ってはいません。そこで働くことによって、人的資本(スキル・信頼・実績)を形成し、やがてそれをお金に変換していく。このプロセスこそが、経済的自立と、自由への道となるのです。

 そして私は、「自由」こそが働く最大の目的だと考えています。選択の自由、時間の自由、場所の自由。好きな仕事を選び、好きな人と働き、好きな場所で生きる。その自由を得るために、我々は働き続けるのだと思うのです。ただし、そこには義務と秩序が併存することを逸してはいけません。

 もう一つ、働くことで社会との接続が保たれる。社会というネットワークに自分というノードを接続し続ける限り、情報やチャンス、人脈も流れ込んできます。つまり働くとは、自分をアップデートし続けること。

 働くことは、しばしば苦役と見なされます。だがそれは、仕事を手段としてしか捉えていない証拠です。もしあなたが「働く」ことを「創る」ことに変換できたなら、それは人生最大の投資になります。自分自身という無形資産を触媒として、社会に最大限に活かす営み、それが「働く」ことの本質ではないでしょうか。
 働くとは、未来によって過去を変えること。


そう私は思い、明日も働きます。

2025.07.27

時間の流れと変化

 夏の盛りになると、あたりに響き渡る「蝉時雨(せみしぐれ)」は、日本の夏の風物詩ですよね。俳句の季語として、よく使われます。ところが、今年はSNSなどで「セミの声が少ない」という書き込みが目立つそうです。東京都内や南関東でも、例年のような大合唱には遠いと感じる方が多いかもしれません。

 セミ研究の専門家である林正美・埼玉大学名誉教授によると、今年のセミの出足が鈍い原因として、梅雨の雨量が少なく地面が硬くなり、セミが羽化しにくいことが考えられるそうです。また、今年は6月から暑かったため、「なぜセミが鳴かないのだろう」と、本来セミが多く鳴く7月中旬より前に「セミの声が少ない」と錯覚した人も多い、という側面もあるようです。

 セミの生態系も変化しています。日本には36種のセミが生息しているようですが、そのうち2種は外来種で、中国原産の大型ゼミ「タケオオツクツク」のように一部地域で定着した新顔もいるそうです。さらに、西日本でおなじみの在来種「クマゼミ」の分布域は広がり、ほぼ関東全域の低地に及んでいるとのこと。身近なセミも、少しずつ生息状況が変化しているのですね。

 この「変化」というテーマは、私たちを包む「時間」にも関連してきます。サンテグジュペリの名作『星の王子さま』に出てくる星では、自転速度が増して昼と夜が30秒ごとに繰り返されるという話がありますが、実は地球の自転速度は、歴史的に見ると「だんだん遅くなってきた」と言われています。
 

 地球が誕生したばかりの頃は、1回転に5時間ほどだったのが、恐竜のいた中生代には約22時間と、潮の干満などにより少しずつブレーキがかかってきたそうです。

 夏のセミの鳴き声の移ろいや、はるかな地球の自転速度の変化を考えると、時間や自然は常に動き続けていることを感じます。私たちの日常も、そして地球そのものも、絶えず変化し続けているのですね。

 昨日よりも、今日を楽しく。日々新に、こころも新たに!じっと心を沈めて自分を見つめ、私も変化していきたいものです。

2025.07.26

段差

 先日、妻が足が晴れて痛みが取れないので、整形外科に行きました。3ヶ月前も同じような症状で通院していたので、何かが悪化したのかと思っていましたが、骨折しているとの事で、総合病院を紹介してもらいました。

 CTを撮った診断の結果、すぐに手術という事になるかもとの話でしたが、2週間ぐらい後でも問題ないといわれました。結構なガタイをしているので、松葉杖もおぼつかない様子です。

 病院内の移動は車いすを借りたので、良かったのですが、いざ家に帰るとなりますと、玄関までの階段が登れない。10㎝程の段差ですが、全く足をあげることが出来ず、椅子を使って何とか家の中に入ることが出来ました。玄関まで数十段ある家でだったらと思うとホッとしました。


 怪我もなく当たり前のように歩いているのが、本当にありがたく感じました。歳を重ねるごとに、段差というものが歩行の大きな障害の一つになるというのが実感しました。


 何をおいても、人生は健康一番ですね。今日も暑い日ですが、慌てず行動していきましょう。

2025.07.25

日付の裏に潜むもの

 私たちは日めくりのようにカレンダーをめくり、新しい日付に何の疑問も抱かず、ほとんど意識することなく、新たな時間を刻み始めます。しかし、この「カレンダー」という言葉が、古代ローマにおける金の貸し借り、すなわち「債務」の記録に由来すると聞けば、その背後にある歴史的含意に、私たちはもう少し敏感になるべきと思うのです。

 「カレンダエ」とは、まさに利息計算の基準日、毎月1日を指したのだそうです。日付とは、古来より人間に課せられた、ある種の「拘束」や「義務」、あるいは「負債」の記号であったわけです。まるで古代ローマの会計簿の如く、期限として刻まれた「8月1日」。

 この日付は、日米関税交渉の「決着」という名のもとに、ある種の「債務」を日本側に背負わせました。当初トランプ大統領が書き込んだ「25%」という数字が、最終的に「15%」で合意したとのことです。メディアの一部には「マイナス10ポイント」という数値に安堵の声もあったようですが、それは一体、何を基準とした「安堵」なのでしょうか。

 本来は課すべきでないところを、筋の通らない『15%』をのまされました。それが実相です。この一句は、今回の「合意」が、いかに「合意」という美名の下に実質的な「押し付け」であったかを雄弁に物語っています。交渉の「成果」として喧伝されるレトリックの虚飾を、私たちは見抜く必要があります。


 実際、この「決着」を受けて、「国益を守り抜けたのか」という根本的な疑問が噴出し、政権の「強気発言」が結局「遠吠えに終わった」とまで酷評されています。さらには、「KY首相では日本丸沈没」といった厳しい論調が散見されることこそ、この「合意」の代償の大きさと、それに伴う不信感の深さを示唆しています。


 外交とは、レトリックとポーズの応酬ではありますが、その裏で実質的な国益が損なわれるならば、それはもはや滑稽な寸劇でしかありません。

 私たちは、カレンダーに刻まれた「日付」が持つ「債務」や「期限」という古来からの意味合いを改めて噛みしめるとともに、政治が掲げる「合意」や「決着」といった言葉の背後にある「実相」を、常に疑いの目で吟味するべきでしょう。そうでなければ、私たちは、見えない「足かせ」を自ら進んで装着させられることになるかもしれません。


 その意味で、この8月1日という日は、未来に向けた警告として、カレンダーに深く刻まれたはずです。

2025.07.24

プラモデル

 この時期の猛暑は本当に厳しいですね。


 そんな中、世界的模型メーカー「タミヤ」の田宮俊作・代表取締役会長(90)が7月18日に死去されました。また、テレビドラマ「サインはV」の中山麻里さんの訃報に驚くと同時に、テレビの前で釘付けなっていた昔を思い出しました。


 田宮氏は、スケールモデル、RCカー、ミニ四駆の世界的普及に多大な貢献をされました。この訃報に触れ、少年時代のプラモデル作りの記憶がよみがえりました。お小遣いを握りしめ模型店へ向かい、箱を開ける時の高揚感、パーツを一つ一つペンチで切って、説明書を見ながら組み上げるのですが、途中で失敗して投げ出したこともありました。戦車や車が多かったです。船や飛行機は、自分には難しく根気のいる部類で、敬遠していた記憶がございます。


 そして完成した時の格別な達成感。タミヤはものづくりの楽しさや喜びを教えてくれる、かけがえのない存在でした。
田宮会長が与えてくれた夢と感動は、これからも受け継がれるでしょう。

 
 お二人には、心よりご冥福をお祈りします。

2025.07.22

異端児

 昨日、宇治市で空き家を所有されている、所有者様のお宅に訪問しました。突然の訪問にもかかわらず、ご面談のお許しを頂き世間話をしておりましたら、何と枚方市の高等学校で社会を教えておられたことがあり、主に政治経済が主とのことでした。同時に弊社が枚方市にあり、ご縁を感じました。


 当然のこと、自公で過半数を割り込んだ、先日の参院選の話になりました。今回の選挙は、世界の潮流に乗った、イメージ選挙だったなぁというご感想でした。そんな中、石原莞爾(いしわら かんじ)という人物の話になりました。

 
 昭和初期の軍人として語られることが多いですが、その思考は単なる軍国主義者の枠を超えています。彼は「最終戦争論」を提唱し、日米の戦争は不可避であり、最後は正義と正義が衝突する世界戦争になると予見しました。そのため、日本は道義国家として精神的に高いレベルに達しなければならないと説いていました。


 1931年の満州事変では関東軍参謀としてその開戦を主導し、国際社会に衝撃を与えました。しかし、彼の真意は単なる侵略ではなく、東アジアの秩序を再構築し、日本が西洋帝国主義に対抗する精神的リーダーになることにあったとされます。彼は「世界最終戦争」に備えるという壮大な構想のもと、中国との協調を重視し、後に軍部の強硬派から異端視されるようになります。




 また、彼は天皇機関説を支持し、国体論を絶対化する当時の風潮にも批判的でした。その思想は、軍の中にあって孤立を深め、次第に表舞台から退くこととなりますが、戦後は占領軍にも参考にされるほどの先見性があり、マッカーサーが一番恐れた人物と、言われるに至りました。
 戦争を単なる勝ち負けではなく、人類の精神的進化の中で捉えようとした石原莞爾。彼の思想には危うさと同時に、一種の倫理観と理想主義が混在していると思うのです。


 現代の私たちが、彼をどう評価するかは分かれるところですが、「ただの軍人」では収まらない存在であることは確かです。もう少し石原莞爾を知るために、考察を深めたいです。また、昭和という時代の奥深さに触れることでもあると思えてなりません。


 どんな時代でも、激動の歴史に人は惹かれるのだと、お客様の感想に深く感銘し、面談していただいたことに感謝して,帰社の途につきました。

2025.07.21

実利よりも印象選挙ではなかったのか?

 自公与党の惨敗に終わった参議院選挙。


 違和感を感じたのが、それぞれの党の公約の中で、ガソリン税の暫定税率撤廃なるものがございます。これは、実行しやすいからだろうと、訝しく思ったのは私だけでしょうか?


 脱炭素社会を目指す中で、ガソリン税の減税が議論されています。これは本当に国民にとって意味のある政策なのでしょうか。ガソリン車の比率は今後急速に下がり、EVの普及によりガソリン消費そのものが縮小するのは避けられません。つまり、ガソリン税は将来的に税収が見込めない“消えゆく税”なのです。

 そんな中で「ガソリン税を下げます」と言われても、それが実際に国民の生活に長期的なメリットをもたらすのかは疑問です。
一時的にガソリン価格が下がっても、恩恵を受けるのはガソリン車に依存している一部の層に限られ、すでにEVに移行した人々や都市部の公共交通利用者にはほとんど恩恵を受けることはございません。


 さらに、税収が減った分は別の形で国民が負担する可能性もあります。例えば消費税の引き上げや社会保険料の増額などがその一例です。減税と聞くと耳障りは良いですが、実は「印象だけの政策」になってしまう危険もあると感じます。

 
 ガソリン税の将来的な減少はすでに財務省も織り込み済みであり、その減税を声高に叫ぶのは、本質を隠したまやかしの政策とも言えます。それよりも、もっと切実な消費税の減税や撤廃、社会保険料の減額に向けて公約の実現に邁進していただければと、一票を投じた国民として切に願うばかりです。