アキバのつぶやき

2025.06.16

ヘッドハンティングと責任

 転職は、日本において普通の時代となりました。 私が30代の頃は、転職はネガティブな行為としてとられていました。転職の回数が多いという事で、その人物の評価は低くみなされました。現代は、逆に転職していな方が、問題児のようにみられるようになりました。自らが転職サイトにエントリーしたり、エージェントが職に適した人を探し、条件を提示して優秀な人を引き抜く転職を促すことが、普通に行われています。

 今回、山尾志桜里氏が国民民主党に離党届を提出した件は、まるで企業における「ヘッドハンティング」の失敗と、その責任問題を浮き彫りにしていると思います。国民民主党は、玉木雄一郎代表らが山尾氏を夏の参院選候補として誘致し、公認を要請しました。山尾氏はこれを悩み抜いた末に受諾し、4月23日に党から公認決定の連絡を受けました。しかし、発表は「SNSでの批判沈静化」や「愛知県連からの懸念」などを理由に、複数回先送りされ、5月14日にようやく公認が発表され、山尾氏は本格的な政治活動を開始しました。

 転機は、6月10日の山尾氏単独での出馬会見でした。会見では以前の不倫問題にも触れられましたが、その24時間も経たないうちに「公認取り消し」が決定されました。山尾氏は、公認取り消しの理由とされた事柄は、「全て公認時に周知されていたこと」だと明言し、もし懸念があったなら公認前に選対面談を設けるべきだったと指摘しています。
 
実際、山尾氏自身は4月15日に面談を申し出たものの「不要」と判断されていた経緯があったとのことです。これは真実がどうかは不確かなところがありますので、一方的に山尾氏の言い分を支持するのは乱暴かと思います。
 しかし、この一連のプロセスは、党の「統治能力」に深刻な疑問を投げかけるものです。公認という形で一度「採用」を決定し、活動を開始させた後に、既知の情報を理由に取り消す行為は、ヘッドハンティング側の事前のデューデリジェンス(適正評価)の甘さ、そして最終的な責任の所在が問われることになります。

 玉木代表自身も、公認見送りに関して「おわび」の言葉を述べ、判断が遅れたことを認めていると報じられています。ですが、人ひとりの人生を、どのようにとらえているのでしょう。人前にさらけ出され、掘り返してもらいたくない過去を問われて、挙句の果てに無かったことにして下さいとは、何とも無責任な人を馬鹿にした行為としか考えられません。
 
山尾氏は、今回の経験から「党から正式な公認内定を受けても、党の都合で排除されてしまう政党では、志ある方も今後立候補の決断に躊躇してしまうのではないか」と懸念を表明し、党の統治能力に疑問を抱いているとして離党届を提出しました。また、この騒動によって、国民民主党の倫理観の欠如と、党首のリーダーシップの劣悪さが露呈されたことになり、夏の参議院選挙は苦戦を強いられるのではないでしょうか。
 
一般の転職でも、自己の都合ではなから実現できないことを、へっちゃらで嘘をつき転職させようとする行為も、大いに慎まなくてはいけません。そんなことで転職させてもすぐ離職することになります。全く無意味で無駄な行為です。また、転職希望者側もその雇用条件に現実味があるかどうかを洞察する目を養う必要があると思いました。
 
リーダーは常に高潔な倫理観をもって対処していくことを求められるのだと、再認識いたしました。

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