アキバのつぶやき

2025.08.23

よーいドン!

 関西テレビの番組のことではございません。

 小学生の時は、運動会が好きではなかった。元々、競争心といいますか、虚栄心が強かったのでしょう。他人に負けることと、「どんべ」になるのが恥ずかしいという、自己顕示欲が強かったのです。

 ふと、当時の記憶が蘇ってきたので、アラ還となった今となっては、競争するような運動はしないので、実生活に置き換えてみました。もし、この合図がなかなか鳴らない状況となった場合、実生活ではストレスの縮図のように感じられます。
 
 たとえば、仕事で言えば、新しい企画書を仕上げて提出したのに、上司からの決裁がいつまでも下りない場面です。こちらは走る準備を整えているのに、スタートの合図が出ないために、動けず焦燥感だけが募っていきます。

 家庭においても同じようなことが起こります。住宅購入や転職などの大きな決断をする際、家族の意見がまとまらず、話し合いだけが続いて結論が先延ばしにされる。本人としては動き出したいのに、合図が出ないまま待たされることで、エネルギーが消耗していくのです。準備段階の緊張は、短時間であれば集中力を高めますが、長く続くとむしろ不安や苛立ちへと変わり、強いストレスにつながってしまいます。

 そこで、考えられる重要なものは、「ドン」を他者に委ねすぎないことです。日常の中で自分が小さな合図を出す工夫をすれば、停滞は緩和されます。たとえば、決裁が遅れているなら確認のメールを送ってみる、家庭の議論が進まないなら選択肢を整理して提示してみる。そうした行為は大きな一歩ではなくても、自分自身に「今、動いている」という感覚を与え、ストレスを軽減します。

 人生には必ず待つ時間があります。しかし、その待ち時間をどう過ごすかによって心の負担は変わります。自分で小さくても「ドン」を鳴らす習慣を持つことが、現代社会を生き抜くうえでの大切な知恵だと考えます。

 ご相続された不動産のご売却の場面では、「ドン!」の合図が出るまで、何かお役に立てられる関係構築のフォローが何か、しっかりと考えて小さな「ドン」を鳴らしていきたいと思います。

2025.08.21

自信について

 お疲れ様です。

 先日、ある記事を読み、営業活動における自信について深く考える機会を得ました。その記事には、自信には2つの種類があると書かれていました。

一つ目は、「結果を得られた自分への自信」です。

 この自信は、よく言われているもので、努力して望む結果を手にした時に得られる感情です。でも、結果は努力だけでなく、運や環境にも大きく左右されるものです。そのため、望む結果が得られなかった際に、自信を失ってしまうというリスクがあるタイプです。これは自信ではなく、「期待」という感情に近いのではないかと思います。
 
 俗にいう、報酬を目的とした行為とも言えます。この感情で仕事をしていれば、その結果によって、仕事に対する感情のムラがでるのは当然でしょう。
 そして二つ目こそが、私が営業としてまた、人生において人として本当に大切だと感じる自信です。それは、「努力し続ける自分への信頼」です。つまり、「自分には実力をつけるまで努力を積み重ねる能力があり、価値のある人間である」と信じることです。「今はまだまだだけれど、自己の抱く理想に、意志し続ける力を持っている」と、心に描き続けるとも言えます。

 この自信の素晴らしい点は、運や結果に左右されないことです。日々の愚直で地道な努力だけで培うことができる、まさに私たち営業に従事する者にとって常に持ち続けたい感情のひとつです。

 この努力ベースの自信を育む具体的な方法は、今日自分が「○○ができた」ということを意識的に言語化することです。例えば、「今日は新規顧客に5件訪問または電話ができた」「A様の相続空き家の課題を、深くヒアリングできた」など、どんなに小さなことでも、「できた」或いは、「今日はそれに対して最大限、努力できたか?」と振り返り、言葉にして認識することです。

 この習慣を身につけることで、着実にこの2つ目の自信が蓄積されていくと気づきました。
真の自信とは、奢ることなく自分を信じ、主体的に歩み続ける力。私たち営業も、日々の努力を大切にし、この揺るがない自信を育てていきましょう。

 きっと、どんな状況でも前向きに進み続けられるはずです!

2025.08.19

花火

 最近の花火大会を見ていると、日本人の祭りに対する感覚が、この数年で少し変わってきたように感じます。以前は、夏の夜空を彩る一大イベントとして、街全体がそこに照準を合わせ、家族や友人が浴衣姿で繰り出すのが定番でした。しかし、コロナ禍を経て再開された花火大会は、単なる復活ではなく、新しい形に進化しているのです。

 まず目立つのは、花火大会の規模や形式の多様化です。大規模な人出を避けるために、打ち上げ場所や時間を直前まで非公表にする「ゲリラ花火」や、複数の小規模会場で同時開催する方式が広がりました。その結果、偶然空を見上げた瞬間に広がる花火の驚きや、生活圏の中でふと感じる季節感が、むしろ新鮮に映ります。


 さらに、近年の花火は技術面でも進化しています。コンピュータ制御による打ち上げタイミングの精密化や、LEDドローンと花火のコラボレーションなど、もはや伝統芸と先端技術の融合です。中でも、音楽と完全にシンクロする「ミュージック花火」は、観客の感情を一気に引き込み、まるで夜空に描かれるライブパフォーマンスのような迫力を生み出しています。


 一方で、運営側の課題も少なくありません。安全対策や交通規制、警備体制の強化はもちろん、地元住民への配慮も求められます。花火の轟音や人の流れは、時に生活環境への負担ともなり得ます。だからこそ、地域と共生する形での開催が重要であり、そこには運営者の創意工夫と住民との対話が欠かせません。


 私たちが花火を見上げる時間は、せいぜい数十分。しかし、その裏には、長期間にわたる準備と多くの人々の協力があります。そして、その一瞬の美しさを共有することで、人々の心が緩やかにつながり、日常の延長線上に小さな奇跡が生まれるのです。


 最近の花火は、ただの夏の風物詩ではなく、時代の変化や人々の価値観のシフトを映す鏡でもあります。形は変われど、その魅力は変わりません。夜空に咲く一瞬の光が、また来年への期待を灯すのです。

2025.08.18

お墓参りには、生花と造花どちらをお供えしますか?

 今年のお盆は、お墓参りに行けませんでした。お彼岸には、妻と行けるといいですが、ダメなら一人で行こうと思っています。
さて、ふとまようのが「お供えする花は生花がいいのか、造花がいいのか」ということです。私は毎年この時期になると、妻にどこで生花を買う?と相談します。

 何と言いましても生花には、その時々の季節感や香り、色合いのやわらかさがあります。お墓に供えた瞬間、しっとりとした空気が漂い、故人との距離がぐっと縮まるように感じられます。ただ、真夏の暑さや強い日差しの下では、せっかくの花も数日でしおれてしまうことがあります。遠方から帰省してお墓まいりをした後、すぐにはまた来られない方にとっては、その儚さが少し心残りになるかもしれません。

 一方、造花は手入れの必要がなく、長くきれいなまま保てます。最近は造花の質も上がり、遠目には生花と見間違うほどのものもあります。特にお墓が人里離れた場所にあり、頻繁に足を運べない場合には、造花は実用的です。ただ、やはり香りや瑞々しさはなく、無機質で季節感という点では生花に到底及びません。

 そこで私は、車で1,2時間程度の距離にお墓がある方は、お盆やお彼岸のお墓まいりのときだけは生花を供え、その以外は造花に替えるというのが良いのではないかと思うのです。お盆の期間は故人を想う気持ちを生花であらわし、その後の管理や美観は造花で保つ。これは現実的で、かつ気持ちの区切りとしても、良い方法だと感じます。

 そもそも大切なのは、生花か造花かという選択ではなく、その花を供えるときの気持ちです。どちらを選んでも、そこに込めた思いはきっと故人に届くはず。お墓の前で手を合わせる時間、そして花を選ぶひととき。それを、届けたいという心。それらすべてが、お盆という節目にふさわしい大切な行いではないでしょうか。

 私はありがたいかな、1時間程度の移動で、それぞれのお墓がございますので、お彼岸には生花をお供えしよっと。

2025.08.17

知識と知性の違い

 あっという間に、夏季休暇が過ぎ、本日より出勤です。
私事では、家人が足を骨折して約1ヶ月過ぎ、実家への帰省、ご先祖様のお墓参りも行けず、近くのショッピングモールと、読書三昧の休日でした。

 
 そんな中、知性と知識ってどう違うのだろうと、ふと思うことがありました。

 この二つは似ているようでいて、まったく別物です。知識とは、情報や事実の集積です。学校の勉強や読書、仕事の経験などを通じて私たちは膨大な知識を得ます。しかし、それはあくまで材料・素材に過ぎません。不動産業では、仕入物件のようなものですね。


 知識が多ければ多いほど良い、というのはある意味で正しいですが、それだけでは不十分です。なぜなら、知識は状況に応じて使いこなさなければ価値を生まないからです。

 一方、知性とはその知識を整理し、関連付け、必要なときに適切な形で引き出す能力です。さらにいえば、知性は知識を活かすための判断力であり、創造力でもあります。同じ情報を持っていても、人によって結論や行動が異なるのは、知性の差があるからです。ビジネスの現場では、この差が成果に直結します。不動産でいえば、物件を多く仕入れればいいというものではなく、付加価値をどれだけ付けて、市場に受け入れて頂ける価格で提供できるかが大切です。

 知識は努力すれば比較的容易に増やせます。ですが、知性は一朝一夕では身につきません。経験から学び、失敗を分析し、異なる分野の知識を組み合わせて新しい視点を生み出す。そういったプロセスを繰り返す中で、知性は磨かれていきます。私自身、不動産業界で多くの判断を下してきましたが、必要だったのは単なる知識よりも、むしろ「この情報をどう解釈し、どう行動に移すか」という知性でした。

 また、知性は感情や倫理観とも深く結びついています。正しいことを選ぶ勇気、長期的な視点を持つ冷静さ、そして他者の立場を理解する想像力。これらは数字やデータだけでは測れません。AIでは代替できません。知識だけではなく、こうした人間的要素も知性の一部なのです。

 結局のところ、知識は「何を知っているか」、知性は「それをどう使うか」です。そして、変化の激しい現代において、本当に価値を生むのは知性です。知識を集める努力を怠らず、その使い方を日々考えること。すなわち、インテリジェンス力が求められる。

 
 それが、これからの時代を生き抜くための鍵だと私は思います。

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