アキバのつぶやき
2025.10.12
トランプ大統領が平和賞を受賞できなかった理由
毎年話題を呼ぶノーベル平和賞。今年も予想に反して、ドナルド・トランプ前大統領の名は呼ばれませんでした。中東和平に一部の実績を残したとはいえ、世界が見たのは「分断」と「衝突」でした。
これは、私たちのビジネスの世界でも同じ構図がございます。短期的な成果を出したリーダーが、長期的な信頼を失うことが発生します。特に不動産、住宅業界では多く目にします。その理由は、業界の体質なのか慣習なのか、月次の契約本数を目標にして活動している企業が大半だからです。
トランプ氏は交渉術と突破力においては卓越していました。ですが、ノーベル賞が評価するのは「結果」ではなく「理念」です。
この違いは、経営における「効率」と「意味」の関係に似ています。
トランプ氏が排他的な姿勢を強める一方で、平和賞は「対話」「包摂」「信頼」といった文脈を重視します。このギャップは、まさに現代社会が抱える“成功の再定義”を象徴しているとおもいます。
経営者もまた、トランプ的リーダーシップに惹かれやすい。強い言葉と即断で組織を動かすスタイルは、一見、成果が出るでしょう。ですが、それが続かないのは、人の心が納得していないからです。
平和賞がトランプ氏を選ばなかったという事実は、政治だけでなく、私たち自身の“リーダー観”を静かに問い直しているのではないでしょうか。
2025.10.11
関係を続ける力と、終わらせる勇気
詩人・吉野弘の「祝婚歌」は、その昔、結婚式などでよく朗読されました。一見、結婚を祝う詩ですが、その本質は“関係のマネジメント論”に近いとおもいます。
「正しさを主張するために 相手を傷つけてもいいという考えを、捨てること」
たとえば、今回の自民党と公明党の連立関係は、政治の世界における長期的な協働モデルでした。理念の違いを抱えながらも、互いを尊重し、妥協と調整を積み重ねてきました。企業経営に置き換えれば、異なる文化や価値観を持つパートナー企業との「共創関係」をいかに維持するか、というテーマに相通じます。
ですが、どんな関係にも“最適期限”がございます。環境や目的が変われば、関係の再定義が必要となります。それを怠ると、関係は惰性に変わり、やがて摩擦と疲弊を生む結果を招きます。だからこそ、「終わらせる勇気」もまた、経営の力なのだと言えます。
それと、祝婚歌の中に、もう一つの示唆がございます。
「勝つこと」よりも「ともに機能すること」に価値を置き、必要なときに静かに距離を取り直す。それこそが、変化の時代をしなやかに生き抜くリーダーシップではないでしょうか。
2025.10.10
免疫細胞と哲学的思考
ニュースでノーベル賞の発表があるたびに、秋の空気が少し澄んで感じられます。科学の話題でありながら、どこか文学的な香りがするのは、受賞者たちの歩みが「人間の探求」という普遍的な営みと重なるからでしょう。
今年もまた、免疫に関する研究が注目されました。私たちの体の中では、無数の細胞たちが昼夜を問わず働いています。その中心にいる免疫細胞は、外からの異物を見分け、排除し、時には過剰に反応して自らを傷つけてしまう。まるで、人間の思考そのもののようです。
哲学的に考えれば、免疫とは「自己」と「他者」を識別する能力のことです。免疫が強すぎれば、他者を拒絶し、弱すぎれば、自分を保てない。人の社会もまた、これに似ています。異なる意見や価値観をすぐに「排除」してしまうと、思考の多様性が失われていく。
でも、何でも受け入れてしまえば、自分という輪郭が曖昧になります。
この「ほどよさ」、塩梅というバランスこそ、免疫にも哲学にも必要なのかもしれませんね。
ノーベル賞を受け取る研究者の多くは、成果を誇るよりも、「わからないことの中にいる時間の長さ」を語ります。未知と共存する姿勢。それは、免疫細胞が異物と出会いながら、少しずつ賢くなっていく過程にも似ていると思います。思考もまた、異質なものに触れることで鍛えられる。完全に同質な世界では、発見も成長もありません。
私たちは日々、自覚なく体の中で小さな闘いを繰り返しながら、生きています。免疫細胞が静かに学びを重ねるように、心もまた、出会いや葛藤を通して自分を更新していきます。
ノーベル賞の輝きの奥にあるのは、そんな「日常の哲学」なのかもしれませんね。
受賞おめでとうございます。
2025.10.10
幸運は準備された心のみに宿るから
フランスの科学者ルイ・パスツールの言葉に、「幸運は準備された心のみに宿る」というものがあります。ノーベル化学賞を受賞した北川進教授のニュースを聞き、この言葉を初めて知りました。
北川教授が取り組んだのは、分子レベルで空間を設計する「多孔性配位高分子(MOF)」という分野です。周囲が関心を示さない時期から、ひたすら基礎研究を続けてこられました。結果として、その「地味な準備」が世界を変える発見につながったのです。
不動産ビジネスの現場でも、同じ構造があります。売却や仕入れの「タイミングが良かった」と言われることがありますが、実際は偶然ではありません。日々、現場を歩き、地域の変化を観察し、地域の肌感覚を積み重ねている人ほど、「偶然のような幸運」、セレンディピティをつかみ取っているのでしょう。同時に野村克也監督の言葉を思い出します。「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」です。日々の地道な営業努力を怠っていれば、商談の場をいただくことはできないという事です。
たとえば、ご相続物件のご売却相談が急に舞い込むことがあります。それを「運が良かった」と片づけるのは簡単ですが、背景には、普段から誠実に地域との関係を築き、信頼を積み上げてきた努力があります。つまり「準備された心」が、偶然の出会いを必然の成果に変えているのです。
市場が大きく動くときほど、この差が顕著になります。金利上昇や税制改正といった外部要因はコントロールできません。しかし、その変化をチャンスに転じられるかどうかは、過去の準備量に比例します。情報収集を習慣化し、法改正や都市計画の動向に敏感であるほど、“運”が味方する確率は高まります。
北川教授の研究人生が示しているのは、「運を待つ人」ではなく、「運を呼び込む人」になるという姿勢です。ビジネスの現場においても、成功を左右するのはセンスや運ではなく、地道な準備と観察と洞察の積み重ね。所謂、無形の力の向上と蓄積です。
2025.10.09
鉄の女サッチャーと、日本のリーダーシップ
政治の世界において「鉄の女」といえば、やはりマーガレット・サッチャー英国首相を思い浮かべます。強固な信念と、明快な言葉で国を導いたリーダー。その姿は、時に批判を受けながらも「決める政治」を体現した存在でした。彼女が残した本質的な問いは、性別を超えて「リーダーとは何か」ということに尽きると思います。
いま、日本でも女性初の自民党総裁が誕生する可能性が高まっています。歴史的な瞬間という報道が踊りますが、私はこの出来事を「女性だから」ではなく、「どんなリーダーシップを発揮できるのか」という観点で見ていきたいと思っております。サッチャーが尊敬されたのは、女性だったからではなく、国家の方向性を明確にし、迷わずに実行したからです。強いリーダーシップを発揮したということに尽きます。
では、リーダーシップとは?それは、理念を現実に翻訳する力であり、触媒でもあります。時代の空気を読んで動くことではなく、むしろ空気を変えていく。経営に置き換えれば、「売上目標を達成する人」ではなく、「組織の意味を再定義できる人」がリーダーといえるでしょう。サッチャーが鉄の女と呼ばれたのは、妥協を拒んだ頑固さではなく、社会を動かす“軸”を持っていたからです。
もし日本で女性初の総裁が誕生したなら、それは単なる“象徴”ではなく、政治文化の構造変化を促す転換点であってほしいと強く願います。リーダーとは、男性か女性かではなく、「何を信じ、どう伝えるか」。そこに尽きます。
日本に必要なのは、“鉄の女”のような強さよりも、“芯のある柔軟さ”かもしれません。強く、しなやかに、そして誠実に。時代は、そうしたリーダーを待っているように思います。
大いに期待していきましょう。