アキバのつぶやき

2026.03.09

不動産取得税の改正について雑感

不動産取得税が53年ぶりに見直されるというニュースがありました。
普通の人は「税金が変わるのか」で終わります。しかし不動産営業の目線では、
ここで見るべきポイントは別のところにあります。税金というのは、国のメッセージです。
何を増やしたいのか、何を減らしたいのか。税制を見ると、その意図が透けて見えます。
これまでの日本の住宅政策は、はっきり言えば「新築中心」でした。
住宅ローン減税も、補助金も、税制も、新しい家を建てる方向に強く働いてきました。
高度成長期ならそれで良かったのです。家が足りなかったからです。

ところが今は違います。家は足りないどころか余っています。空き家は増え、
人口は減り、地方では住宅が市場に出ても買い手がつかない。
そんな時代に入っています。今回の取得税の見直しは、
税率が劇的に変わるという話ではありません。
むしろ制度の「メンテナンス」に近いものです。ただ、その背景にある問題意識ははっきりしています。

不動産市場をどう回していくのか。新築だけではなく、中古住宅や既存ストックをどう活かすのか。
営業の現場でお客様に伝えるなら、こういう話になります。
「税金の制度が動くということは、市場も動く可能性があるということです」。
不動産はタイミングの商売です。税制が変わると、人の心理が変わります。
人の心理が変わると、市場が動きます。税金のニュースをただの制度変更として聞くか。
それとも市場の変化のサインとして読むか。この差が、営業の差になるのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.08

国際女性デーに思うこと

 今日三月八日は、国際女性デーです。ニュースでは毎年のように、
「女性の活躍」や「ジェンダー平等」という言葉が並びます。
社会にとって大切なテーマであることは間違いありません。
ただ、少しだけ別の角度から考えてみたくなります。

たとえば「女性初の〇〇」という言葉です。
女性の進出を祝う意味で使われる言葉ですが、
私はそろそろ、この言葉を死語にしてもよいのではないか、
そんなことを思うようになりました。

なぜなら、本来は性別で区切る必要のない話だからです。
「初めての女性大臣」「女性初の社長」「女性初の学長」。
確かに歴史的な意味はあります。
しかし、その言葉が使われ続ける限り、
どこかに「本来は違う」という前提が残ってしまう気もします。
社会の常識は、気づかないうちに変わります。
昔は特別だったことが、いつの間にか普通になります。

もし本当に男女が自然に社会を担うようになれば、
「女性初」という言葉自体が必要なくなるはずです。
国際女性デーは、女性を特別に称える日というより、
社会の当たり前を静かに見直す日なのかもしれません。
本当に目指すべき姿は、女性が活躍する社会というより、
活躍している人を、ただその人として見る社会でしょう。
そんな社会になったとき、「女性初」という言葉は、
きっと役目を終えています。そしてそれは、決して残念なことではなく、
むしろ社会が一歩成熟した証なのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.07

卒業シーズンで浮かぶ歌は?

 三月になると、街の空気が少しだけやわらぎます。

寒さはまだ残っているのに、どこか浮き足立ったような空気。
駅のホームやコンビニで、制服姿の学生を見かけると、
ああ卒業の季節だなと思います。

この時期になると、ふと頭の中に流れてくる歌があります。
人それぞれ違うのでしょうが、私の場合はユーミン。
特別に好きだったわけでもないのに、
なぜかこの季節になると、思い出したように口ずさんでしまうのです。
不思議なものです。

当時は歌詞の意味など深く考えもしなかったのに、
年月がたつと、言葉のひとつひとつが妙に胸にしみたりします。
卒業という言葉には、少しだけさびしい響きがあります。

けれど実際の人生を振り返ってみると、
人は何度も小さな卒業を繰り返して生きているのかもしれません。
学校だけではありません。職場、住まい、人間関係。
気がつけば、いくつもの場所から静かに卒業してきました。
だからでしょうか、卒業ソングを聴くと、学生時代そのものよりも、
その後に歩いてきた時間まで一緒に思い出されます。

誰にでも一曲くらい、三月になると自然に浮かんでくる歌があるのではないでしょうか。
その歌はきっと、その人が通り過ぎてきた季節のしるしなのだと思います。
さて、あなたの卒業シーズンの歌は何でしょうか。
少し立ち止まって思い出してみるのも、この季節の楽しみかもしれません。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.06

あなたは何を卒業しますか?

 卒業シーズンになると、毎年のように「旅立ち」という
言葉があちこちで聞かれるようになります。けれども、
私はこの時期になると、少し違うことを考えます。
卒業というのは、実はそれほど大きな出来事ではないの
ではないか、ということです。もちろん当人にとっては
区切りでしょう。しかし、人生という長い時間軸で見れば、
単なる通過点にすぎません。

学校を卒業したからといって、急に何かができるように
なるわけではありませんし、逆に学生の肩書が取れたか
らといって、昨日までの自分が消えるわけでもありませ
ん。人は、そんなに劇的には変わらないのです。
むしろ大事なのは、卒業のあとです。多くの人はここで
「新しい自分になろう」とします。ですが、だいたい長
続きしません。人間は決意では変わらないからです。

変わるとすれば、日々の行動の積み重ねだけです。派手
な節目よりも、地味な習慣の方がはるかに強い。これは
ビジネスでも人生でも同じです。
だから私は、卒業シーズンを見るたびに思います。
大切なのは、卒業式のその日ではありません。むしろ
その次の日の、何でもない一日です。
拍手も祝辞もない普通の日に、何をするのか。
そこに、その人の本当の物語が始まるのだと思います。

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2026.03.05

企業の私物化

 ニデック社の永守氏が退きました。

すると決まって出てくるのが「企業の私物化」という言葉です。
私はこの言葉があまり好きではありません。
なぜなら、ほとんどの場合、結果論だからです。

創業者が猛烈に会社を引っ張っている間、
誰もそれを私物化とは呼ばない。
むしろ「強いリーダーシップ」と称賛する。
業績が伸び、株価が上がり、雇用が増える限り、カリスマは正義です。

ところが、少しでも歯車が軋むと途端に評価が反転する。
あれは独裁だったのではないか?と。

でも、考えてみますと、創業者経営とは、そもそも“私”から始まるものです。
ビジョンも、執念も、違和感も、全部が個人に紐づいている。
その強度があるからこそ、その他大勢では見えない景色が見える。

問題は私物化かどうかではありません。
「個人の論理」が「組織の論理」に翻訳されているかどうかです。

強烈な創業者はアクセルです。
会社が大きくなるほど必要なのはブレーキとハンドルです。
アクセルを否定するのは簡単ですが、
それではそもそも走らなかったかもしれない。

退任とは、創業者の物語の終わりではありません。
その思想が制度に埋め込まれているかどうかの答え合わせです。
永守氏の退任を、私物化の是非で語るのは表層的です。

本質はもっとシンプルです。「この会社は、創業者を超えられるか。」
企業とは、人格です。その人格が一人の人間の延長線上にあるのか、
それとも時間を超えて持続するのか。そこにしか、経営の面白さはありません。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。