アキバのつぶやき

2026.02.19

新たな空き家問題

 最近、空き家を狙った盗難が増えているといいます。

窓ガラスを割り、給湯器や銅線を持ち去る。
ニュースは淡々と伝えますが、
私はこれは単なる治安の問題ではないと思います。

 空き家とは、誰も住んでいない家ではありません。
「誰も責任を持っていない家」です。
ここが本質だと思います。
 泥棒は無人かどうかを見ているのではありません。
「管理されていない兆候」を見ています。
郵便物が溜まり、雑草が伸び、
夜になっても明かりがつかない。
つまり“放置のサイン”です。

 経営でいえば、空き家は不採算事業と同じです。
赤字そのものより怖いのは、
誰も向き合わなくなることです。
戦略なき放置は、
必ずコストを生みます。
 
 空き家も同じです。
固定資産税だけではありません。
盗難、放火、近隣トラブル。
見えないリスクが雪だるま式に膨らみます。

 所有者様はこう言います。
「そのうち売ろうと思っています」
しかし“そのうち”は戦略ではありません。
意思決定の先送りと思うのです。

 確かに、思い出あるご実家であればそう簡単に
売却するというわけにいかないという、人の心理には
十分共感できるところもございます

 不動産営業の仕事は、
物件を売ることだけはございません。
 放置を止めることも一つの使命であります。
所有者様の曖昧な時間を、
具体的な行動に変えることです。

 盗難が増えているというニュースは、
実は社会からのメッセージです。
「空白をつくってはいけない」という警告でもあります。

 家は使われてこそ価値を持ちます。
管理されてこそ守られます。
空き家をどうするかは、
不動産業界の課題であると同時に、
所有者様の意思決定の問題でもあるのです。

 よき意思決定のパートナーになれるように
しっかりと所有者様と向き合っていきたい
思いました。

2026.02.16

卵が先か鶏が先かに見る、人間性

 「鶏が先か、卵が先か」。
古典的ですが、経営でも人生でもこの問いは繰り返し現れます。

 人間性を高めるには、行動を変えるのが先か。意識を変えるのが先か。
多くの人はこう言います。まず意識改革だ、と。
マインドが変われば行動は変わる、と。

 しかし私は少し疑います。意識とは、実は後づけの
物語にすぎないのではないか。

 人は行動したあとに、「あれは自分の信念だった」と意味づけをします。
たとえば、毎朝早起きを続ける。最初は気合いです。

 でも続けるうちに、「自分は規律ある人間だ」と意識が書き換わっていきます。
意識が行動をつくるのではない。行動が意識を編集するのです。

 経営も営業も同じです。理念を壁に貼っても、組織は変わりません。
小さな行動の積み重ねが、やがて文化になります。
とはいえ、行動だけでは空虚です。
なぜそれをするのかという物語がなければ、継続はできません。

 結局、鶏と卵は循環しているのです。ただし最初の一歩は、
行動のほうが軽い。意識は重たい。抽象度が高いからです。

 だから私は、まず動くことを勧めます。
小さくてもいい。動いた事実が、
あなたの意識を書き換える。

 その循環が回り始めたとき、
人間性は静かに高まります。

 人は考えたから変わるのではない。
変わるように振る舞ったから、
変わるのです。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださってありがとうございます。
三寒四温の気候です、くれぐれも体調管理に努めてください。

2026.02.15

砂漠と森林

「砂漠の思想」と「森林の思想」という対比を経営に置き換えると、
実に示唆的です。砂漠には水がありません。選択肢も乏しい。
だからこそ、「これしかない」という一本の戦略が求められます。

ビジョンは単線。
KPIは明確。
勝ち筋は一つ。

 トップが方向を定め、組織は一直線に進む。
環境が安定しているときには、
この砂漠型経営は圧倒的な推進力を持ちます。
迷いがないから速いのです。

 しかし前提が崩れた瞬間、全部が瓦解する危うさも抱えます。
一本足打法の宿命です。
 
 一方、森林はどうか。多様な木々が共存し、光を奪い合いながらも
森を形づくる。森林型の経営は、一つの正解を探しません。

 違いを重ね、組み合わせ、時間をかけて独自性を育てます。
即効性はありません。けれど、しぶとい。
環境が揺らぐほど、根の深さが効いてきます。

 戦略とは、結局のところどんな世界観で戦うかの宣言です。
一本に絞るのか。多様性を束ねるのか。不確実性が高まる今、
私たちは砂漠を歩くのか、それとも森を育てるのか。

 経営とは、思想の選択です。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.02.14

お香と座布団

 なぜか、お香を買いたくなりました。それと、日本独自なのかどうか知らないのですが、
座布団が欲しくなり、京都市内に行く仕事がありましたので、
 
 そのついでに、以前仕事で訪問した97歳のご主人が健在の
お店に立ち寄り買い求めました。
素敵ながらの布地の座布団がありましたので即買いしました。

 さて、お次はお香です。
うる覚えでしたが、西本願寺前にお店があった記憶を頼りに
車を走らせますと、薫玉堂さんがありました。

 すぐに記憶が蘇り、ここだ!と、お店に入りました。
「こうこう、こういうお香をよく以前買っていた」と説明すると
残念ながら、そのお香は販売終了になっていることのでした。

 お若いのに、とても知識にあふれ親切な店員さんでした。
他によく似た香りがするお香があると
勧めてくださり試香させてくださいました。

 ところが、店内は様々なお香の薫りが混じって
あまりピンとこなかった。

 でも、その真摯な接客に心が豊かになり
違う香りのお香を追加で購入してお店を出ました。

 自宅に帰り、深夜昔を思い出しました。
香りを選び、火をつけ、煙が立ちのぼるのをじっと見る。
あの時間が好きでした。
 今思えば、あれは贅沢でした。何の生産性もない時間です。
煙は売上をつくりません。座布団に座っても、KPIは一ミリも改善しません。
にもかかわらず、なぜ私はあれほど熱心だったのか。
 戦略とは「やらないこと」を決めることだと、よく言います。
お香を焚く時間は、他のすべてをやらない時間です。
通知も、情報も、焦りも、遮断する。
 
 つまり、差別化です。世の中が速さを競うなら、
あえて遅い。世の中が即答を求めるなら、あえて黙る。
 煙はまっすぐ上がりません。揺れながら、消えていきます。
でも、その揺れを見ていると、自分の思考も揺れ始める。
 
 座布団に座るというのは、「構える」ことです。立ったままでは、
深くは考えられません。
 
 強い会社には、必ず“座布団の時間”があります。何もしないように見えて、
実は一番考えている時間です。
 
 久しぶりに買ったお香は、もう流行ではありません。
でも、流行でないからこそ、今こそ意味がある。
 
 速さは真似できる。静けさは、なかなか真似できない。
差は、煙のような目に見えないところで、ついていくのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.02.13

中森明菜のツアー再開の本質は“希少性の経営”

 中森明菜さんが二十年ぶりにツアーを開催されます。

多くの報道は「復活」と表現していますが、
私はそれを復帰ではなく、価値の再設計だと考えます。
二十年という時間は空白ではありません。
むしろ熟成の期間だったのではないでしょうか。

今の時代は出続けることが正義だとされます。
SNSで発信し、常に存在を示すことが
価値そのものだと信じられています。

しかし中森明菜さんは違いました。
あえて出ない。語らない。説明しない。

その選択によって彼女は、
消費される歌手ではなく、記憶される存在になりました。

市場には二種類あります。
いつでも手に入るものと、簡単には手に入らないものです。
前者は価格で競争します。
後者は意味で競争します。
中森明菜さんは後者の側に立ちました。
時間そのものを価値に変えたのです。

今回のツアーは新曲の販売促進ではありません。
人生の記憶を取り戻す機会の提供です。

人は音楽だけを聴きに行くのではありません。
あの頃の自分に再会しに行くのです。
露出を増やすことだけが戦略ではありません。
沈黙を資産に変えることもまた戦略です。

企業も同じではないでしょうか。
安売りを続ける企業は理由を語り続けます。

しかし本当に強い存在は、
静かに価値を提示するだけです。
復活とは元に戻ることではありません。
離れていた時間ごと、価値に変えることです。

中森明菜さんのツアーは、
時間を味方につけた者だけが持てる
本当の存在感を示しているのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。