アキバのつぶやき

2026.03.07

卒業シーズンで浮かぶ歌は?

 三月になると、街の空気が少しだけやわらぎます。

寒さはまだ残っているのに、どこか浮き足立ったような空気。
駅のホームやコンビニで、制服姿の学生を見かけると、
ああ卒業の季節だなと思います。

この時期になると、ふと頭の中に流れてくる歌があります。
人それぞれ違うのでしょうが、私の場合はユーミン。
特別に好きだったわけでもないのに、
なぜかこの季節になると、思い出したように口ずさんでしまうのです。
不思議なものです。

当時は歌詞の意味など深く考えもしなかったのに、
年月がたつと、言葉のひとつひとつが妙に胸にしみたりします。
卒業という言葉には、少しだけさびしい響きがあります。

けれど実際の人生を振り返ってみると、
人は何度も小さな卒業を繰り返して生きているのかもしれません。
学校だけではありません。職場、住まい、人間関係。
気がつけば、いくつもの場所から静かに卒業してきました。
だからでしょうか、卒業ソングを聴くと、学生時代そのものよりも、
その後に歩いてきた時間まで一緒に思い出されます。

誰にでも一曲くらい、三月になると自然に浮かんでくる歌があるのではないでしょうか。
その歌はきっと、その人が通り過ぎてきた季節のしるしなのだと思います。
さて、あなたの卒業シーズンの歌は何でしょうか。
少し立ち止まって思い出してみるのも、この季節の楽しみかもしれません。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.06

あなたは何を卒業しますか?

 卒業シーズンになると、毎年のように「旅立ち」という
言葉があちこちで聞かれるようになります。けれども、
私はこの時期になると、少し違うことを考えます。
卒業というのは、実はそれほど大きな出来事ではないの
ではないか、ということです。もちろん当人にとっては
区切りでしょう。しかし、人生という長い時間軸で見れば、
単なる通過点にすぎません。

学校を卒業したからといって、急に何かができるように
なるわけではありませんし、逆に学生の肩書が取れたか
らといって、昨日までの自分が消えるわけでもありませ
ん。人は、そんなに劇的には変わらないのです。
むしろ大事なのは、卒業のあとです。多くの人はここで
「新しい自分になろう」とします。ですが、だいたい長
続きしません。人間は決意では変わらないからです。

変わるとすれば、日々の行動の積み重ねだけです。派手
な節目よりも、地味な習慣の方がはるかに強い。これは
ビジネスでも人生でも同じです。
だから私は、卒業シーズンを見るたびに思います。
大切なのは、卒業式のその日ではありません。むしろ
その次の日の、何でもない一日です。
拍手も祝辞もない普通の日に、何をするのか。
そこに、その人の本当の物語が始まるのだと思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.05

企業の私物化

 ニデック社の永守氏が退きました。

すると決まって出てくるのが「企業の私物化」という言葉です。
私はこの言葉があまり好きではありません。
なぜなら、ほとんどの場合、結果論だからです。

創業者が猛烈に会社を引っ張っている間、
誰もそれを私物化とは呼ばない。
むしろ「強いリーダーシップ」と称賛する。
業績が伸び、株価が上がり、雇用が増える限り、カリスマは正義です。

ところが、少しでも歯車が軋むと途端に評価が反転する。
あれは独裁だったのではないか?と。

でも、考えてみますと、創業者経営とは、そもそも“私”から始まるものです。
ビジョンも、執念も、違和感も、全部が個人に紐づいている。
その強度があるからこそ、その他大勢では見えない景色が見える。

問題は私物化かどうかではありません。
「個人の論理」が「組織の論理」に翻訳されているかどうかです。

強烈な創業者はアクセルです。
会社が大きくなるほど必要なのはブレーキとハンドルです。
アクセルを否定するのは簡単ですが、
それではそもそも走らなかったかもしれない。

退任とは、創業者の物語の終わりではありません。
その思想が制度に埋め込まれているかどうかの答え合わせです。
永守氏の退任を、私物化の是非で語るのは表層的です。

本質はもっとシンプルです。「この会社は、創業者を超えられるか。」
企業とは、人格です。その人格が一人の人間の延長線上にあるのか、
それとも時間を超えて持続するのか。そこにしか、経営の面白さはありません。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.04

戦争はただの自己を守るめくらましなのか?

トランプ大統領が、イランを攻撃しました。
するとすぐに出てくるのがこの物語です。

「内政の不利をそらすための戦争ではないか。」

この手の説明は、実に分かりやすいです。
分かりやすいということは、大抵の場合、単純すぎるということです。
そう、確かに前例がございます。

ビル・クリントン大統領が弾劾問題の最中に、軍事行動を取ったとき、
「目くらましだ」という批判が噴き出しました。いわゆる“逸らし戦争”仮説です。

でも、仮説は仮説に過ぎない。
タイミングが重なったことと、因果関係があることは別問題です。

そもそもイラン問題は突発的なテーマではない。
核開発、革命防衛隊、中東の勢力均衡。
何十年も続く地政学の構造問題です。

これを「スキャンダル隠し」で説明するのは、
複雑な数式を四則演算で解こうとするようなものです。
さらに言えば、戦争はコスパが悪い。

株価は揺れ、原油は跳ね、議会は騒ぎ、同盟国は神経質になる。
支持率が必ず上がる保証などどこにもない。リスクが高すぎる。

では動機は何か。
トランプという政治家は一貫して「強さ」を売り物にしています。
対外強硬姿勢はスキャンダル対応ではなく、ブランド戦略の中核です。

アクセルを踏むのがデフォルト。ブレーキはない。
だから、問いの立て方を間違えると、本質を見失います。
「スキャンダル隠しか?」ではない。

そこで問うべきは、この軍事行動は、長期戦略に整合しているのか。
外交は感情ではなく、ポジション取りです。
一発の空爆より重要なのは、その後の均衡です。
物語で政治を見ると、理解した気になります。

しかし国家はドラマで動いていない。利害で動いている。
単純な陰謀論は気持ちがいい。

ですが現実は、もっと退屈で、もっと冷酷です。
そこにこそ、分析の余地があるのではないでしょうか。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.02

京アニ

偶々お昼に、お客様宅で会話しているときに、
京アニの話題になりました。
 
それは、2019年のあの日から、時間は確実に流れているはずなのに、
心のどこかは止まったままだという人も少なくないでしょう。

その中心にいたのが、京都アニメーションを率いてきた八田英明氏でした。
京アニという会社は、規模で勝つ会社ではありませんでした。

作品数を量産するわけでもない。むしろ逆です。
一本一本を、手間暇をかけて磨き上げる。
まるで工芸品のように、アニメーションを作る。
そこに徹するという戦略でした。

2019年の放火事件は、会社から多くの才能と未来を奪いました。
しかしその後の京アニは、被害者であることに寄りかからなかった。
静かに、しかし確実に制作を再開し、作品を世に送り出した。

その姿勢こそが、企業としての本質を物語っています。
企業の価値は、ヒット作の数ではありません。
逆境に置かれたときに、何を守るかです。

京アニは「作り手を守る」ことを選びました。
下請け構造に依存せず、正社員中心で育てる。
効率よりも蓄積を重んじる、この非効率に見える選択が、
他社には真似できない独自性を生んだのです。

八田社長の死去は、一つの時代の終わりかもしれません。
しかし、京アニという会社が体現してきた思想は、
作品の中に、組織の中に、確かに残っています。

戦略とは、ポジショニングではなく「やらないこと」を決めることだと言われます。
京アニは、安易な拡大をやらなかった。
スピード優先をやらなかった。その代わりに、信頼を積み重ねた。

企業とは人格です。リーダーがいなくなっても、
その人格が残るかどうか。それが本当の経営の評価でしょう。
静かな強さとは何か。
京アニの歩みは、その問いへの一つの答えを示しているように思います。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。