アキバのつぶやき

2026.03.26

松永久秀と不動産営業

 不動産営業の世界は、ある種とても“真面目”です。

相場があり、慣習があり、「こうやるべきだ」という型がある。
多くの営業は、その枠の中で競争します。
価格を下げる。スピードを上げる。接触回数を増やす。
いわば、決められたルールの中での最適化です。
しかし、ここに一つの限界があります。
全員が同じルールで戦えば、差は出にくい。
結果として、消耗戦になる。

ここで松永久秀という戦国武将の存在を思い出します。
彼はルールを守らなかったのではありません。
ルールそのものを疑った。
不動産営業に置き換えると、こうなります。
「本当にこの価格の付け方でいいのか」
「この売り方しかないのか」
「このタイミングで売るべきなのか」
当たり前とされている前提に、問いを差し込む。

例えば、相場より少し高く出すこと。
通常は“売れないリスク”として避けられます。
しかし、売主の事情や市場の空気を読み切れば、
それが最適解になることもある。
あるいは、すぐに売らないという判断。
「今が売り時です」と言うのが営業の常套句ですが、
あえて待つことが、結果的に価値を最大化する場合もある。

つまり、売ること自体を目的にしない。
ここに一つの非連続があります。
ただし、このやり方にはリスクがあります。
ルールを外れる営業は、
「分かりにくい」「信用しづらい」と見られがちです。
だからこそ必要になるのが、
“代替不可能な価値”です。

この人に任せるしかない。
そう思わせるだけの視点、説明力、判断力。
これがなければ、単なる変わり者で終わります。
そして、もう一つ重要なことがあります。
どこまで崩して、どこは守るのか。

松永久秀は、最後に自分の美意識を守りました。
不動産営業も同じです。
・無理な売却は勧めない
・顧客にとって不利な情報は隠さない
・短期の数字より長期の信頼を優先する
ここを崩した瞬間に、すべてが崩れます。


つまり、「営業とは、ルールに従う仕事ではありません。
ルールを見極める仕事です。そして最後に問われるのは、
何を崩し、何を守るかという“自分の基準”なのです。」

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.24

熱心としつこいの境目とは

 営業という仕事をしていると、必ず一度は悩むテーマがあります。
また、される側になっても思うことがあります。

それが、「熱心」と「しつこい」の違いです。
本人は一生懸命やっているつもりでも、
相手からは「しつこい」と受け取られてしまう。
このズレはどこから生まれるのでしょうか。

多くの人は、回数の問題だと考えます。
連絡が多いからしつこいのだ、と。
しかし、これは本質ではありません。
同じ3回の連絡でも、
熱心と感じるか、しつこいと感じるかは分かれます。
違いはどこにあるのか。

それは、行動の“起点”です。
熱心な営業は、相手から始まります。
相手の状況、タイミング、検討度合い。
そこに合わせて動く。
だから、その連絡には意味があります。
「今、この情報が役に立つはずだ」という前提がある。

一方で、しつこい営業は自分から始まります。
数字が足りない、上司に言われた、
とにかく接触回数を増やしたい。
この時点で、相手の文脈は消えています。

営業というのは不思議な仕事で、
「何をしたか」では評価されません。
「どう受け取られたか」で決まります。
どれだけ正しい提案でも、
タイミングを外せばノイズになります。

逆に、たった一度の連絡でも、
相手の状況に合っていれば価値になります。
ここで分かりやすい分岐点があります。
それは、断られた後の振る舞いです。
熱心な営業は、一度引きます。
そして、相手のタイミングが来たときに戻る。

しつこい営業は、引きません。
断りを“説得のスタート”だと考える。
この違いは決定的です。
営業とは、売り込む仕事ではありません。
相手の時間軸に乗る仕事です。

自分の都合を押し込むのか。
相手の流れに寄り添うのか。
その小さな違いが、
熱心としつこいを分けています。
結局のところ、営業の質とは行動量ではなく、
文脈の読み取り力なのです。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.23

因果応報は単純に推し量れない

 「原因」と言うと、どうしても一本の線を引きたくなります。

AがあってBが起きる、という直線的な理解です。
でも、実際のビジネスや人生は、そんなに単純ではありません。
そこで「縁」という言葉に置き換えますと、見え方が変わります。

縁とは、いくつもの要素が“たまたま結びついた状態”です。
人、タイミング、環境、気分、偶然。
それらが絡み重なって、結果が立ち上がります。

これは仏教でいうところの縁起に近い発想です。
すべては単独で存在するのではなく、関係の中で生まれる。
だから「これが原因だ」と切り取った瞬間に、
本質から少し離れてしまうのです。
ということは、戦略とは「縁をデザインすること」になります。
特定の一手で成果をあげて、勝つのではなく、
うまくいく“つながり”をどう増やすかになります。
良い顧客と出会う確率を上げる、
意思決定のタイミングを整える、
信頼関係を積み上げる。
これらはすべて、良い縁を引き寄せる行為だと思います。

不動産営業でよく言われているのは、
「このトークで決めた」「ロールプレイングで、習得させよう」ではなく、
「この人、このタイミング、この物件が重なった」
と捉えたほうが、むしろ実感に近いはずです。

面白いのは、「縁」で考えると慢心しにくいことです。
自分の実力だけで勝ったわけではないと分かります。
同時に、運任せにもならない。

ご縁は“自ら作りにいくもの”でもあるからです。
ですので、原因と結果を単純の一本の線で結ぶのではなく、
ご縁として編んでいくという意識が必要です。
この視点を持つと、営業や経営の戦い方そのものが、変わってきます。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.22

公示価格、五年連続上昇について

 公示地価が5年連続で上昇しています。

この事実だけを切り取れば、「景気が良い」という話で終わります。
しかし、それでは少し考えが浅いのではないかと思うのです。
地価の上昇は、単なる価格の問題ではありません。
そこには必ず、誰かの利益と、誰かの負担が同時に存在します。
不動産を保有している人にとっては追い風です。
一方で、これから買おうとする人にとっては逆風になる。
つまり地価とは、景気の体温計というより、
利害をどう分配するかという装置に近いのです。

さらに注目すべきは、「5年連続」という点です。
単年の上昇は偶然でも起こり得ます。
しかし、これだけ続くと、それは構造です。
金融環境、都市への集中、資金の流れ。
こうした要素が絡み合い、「上がり続ける前提」が
いつの間にか共有されている。ここに本質があります。
ただし、もう一つ重要な視点があります。

それは、この上昇が一様ではないということです。
都市は上がる。地方はそうでもない。
平均値だけを見ていると、現実を見誤ります。
数字は便利ですが、ときに現実を隠します。
そしてもう一点。
誰がこの市場に参加しているのか。
海外投資家、富裕層、法人。
プレイヤーの顔ぶれは、確実に変わっています。
地価は価格で決まるのではなく、
誰がその価格を受け入れるかで決まるのです。

では、この流れはどこまで続くのでしょうか。
上昇局面では「買う理由」が語られます。
しかし、いずれ必ず「売る理由」が問われる局面が来る。
そのとき、最後に残るのは誰なのか。
不動産の現場にいると、強く感じます。

価格の話ばかりしていても、あまり意味がない。
本当に重要なのは、「いつ動くか」という時間の問題です。
上昇しているから売るのではない。
上昇している“今しか売れない理由”を考える。
地価の5年上昇は、明るいニュースのように見えます。
しかしその裏側では、静かにプレイヤーの入れ替えが進んでいます。
地価とは、価格の推移ではありません。
誰が残り、誰が退場していくのか。
その力学を映し出す鏡なのです。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。

2026.03.21

麻雀と企業経営について

 麻雀というゲームは、運と実力のバランスが絶妙です。
将棋とチェスは、実力だけが絶対的存在として君臨します。
蓋し、麻雀とポーカーだけは、実力だけでは勝敗を決すること
が出来ないゲームと思えてなりません。

だからこそ、長く打てば打つほど分かってくるのは、
「運をどう扱うか」が実力の正体だということです。

配牌は選べません。ツモも選べません。
つまり、入力はコントロールできないのです。
にもかかわらず、出力、すなわち打牌は完全に自分の意思です。
ここに、麻雀の本質があります。

強い人ほど、「いい配牌だったから勝った」とは言いません。
むしろ、「悪い配牌でも大崩れしなかった」ことを評価します。
これはビジネスと同じです。
景気も市場も選べない。顧客も選べない。
それでも、結果を出す人はいる。

違いは何か。局面ごとの意思決定の質です。
麻雀では、毎巡ごとに意思決定が求められます。
攻めるのか、引くのか。
リーチを打つのか、ダマにするのか。
この積み重ねが、最終的な点棒に変わります。
一発の大勝負ではありません。
だからこそ面白いし、怖い。

多くの人は、大きな手を和了った記憶だけを覚えています。
しかし、勝敗を分けているのは、
実は目立たない小さな判断の連続です。
無理をしなかった一局。
押さなかった一巡。
切らなかった一枚。
これらが積み上がって、結果になります。

麻雀は、派手なゲームに見えて、
実は極めて地味な意思決定ゲームです。
そしてこれは、そのまま仕事の縮図でもあります。
勝つ人は、特別なことをしているわけではありません。
当たり前の判断を、当たり前に積み重ねているだけです。
ただし、それを徹底している。ここに差が出ます。
麻雀卓の上で起きていることは、
人生のどこにでも転がっています。
だから麻雀は、単なる遊びでは終わらないのです。

今日も、「アキバのつぶやき」に来てくださって、ありがとうございます。