アキバのつぶやき

2025.08.30

嘗て宇宙人といわれた男

 もうすぐ9月、秋の気配を感じる頃となりましたが、飛び込んできたニュースに、ふと立ち止まって考え込んでしまいました。

鳩山由紀夫元首相が、来月3日に北京で行われる「抗日戦争勝利80年記念行事」にご出席なさるというお話です。


 記事によれば、それは「極めて軍事色の濃い式典」であり、北朝鮮の金正恩総書記やロシアのプーチン大統領も出席される予定なのだとか。
この一報に接し、心に去来したのは、日本の元首相という重い立場の方が、そのような場に臨むことの意味についてでした。記事によりますと、刑法でこれまで一度も適用されたことのない「外患誘致」という重い言葉まで引き合いに出され、その刑が「死刑」以外に定められていないとまで書かれています。

 もちろん、これは極端な見方かもしれませんが、それほどまでに国民の間に懸念がある、という筆者の気持ちが伝わってきます。
ご長男である国民民主党の鳩山紀一郎衆院議員が、X(旧ツイッター)で「父には出席の取りやめを要請しました」と発信され、「日本の元首相が中国政府の戦勝記念行事に出席する必要はありません」と釘を刺されたのも、ご家族としての、そして国会議員としての真摯な思いが滲み出ているように感じられます。

 ご子息の切なる願いが、鳩山元首相の耳に届くことを願わずにはいられませんが、記事の筆者は「鳩山氏の耳には届くまい」と、どこか諦めにも似た見方をしているのが印象的です。

 かつて国の舵取りを任された方が、今、どのようなお考えでその席に臨もうとされているのか。その真意は測りかねますが、国民の一人として、複雑な思いを抱かずにはいられない、そんな晩夏のニュースでした。

2025.08.28

似て非なるもの

 人の行動を説明するとき、「原因」と「目的」という二つの考え方があります。原因というのは過去から今を説明する視点です。たとえば「人と話すのが苦手なのは、子どものころの体験が影響している」というようにです。これは理解には役立ちますが、どうしても「仕方がない」と感じてしまうことがあります。
 一方で、目的という考え方があります。アドラー心理学では「人は原因ではなく目的によって行動する」と言います。つまり「人と話すのが苦手なのは、嫌われないように距離をとるという目的を選んでいるから」と見るのです。ここで未来を意識すれば、「これからは信頼関係を築くことを目的にしてみよう」と、自分で新しい行動を選ぶことができます。
 
もちろん、過去を振り返ることも無意味ではありません。なぜなら、これまで自分がどんな目的を選んできたのかを知ることは、未来に向けて新しい目的を描く手がかりになるからです。

 結局のところ、原因は過去を語る物語であり、目的はこれから選ぶ道しるべです。人が本当に変わるのは、未来にどんな自分でありたいかを選んだときなのだと思います。

 ビジョンをもって仕事に従事することが、何にもまして大事だということですね。

2025.08.26

信頼と信用

 信頼と信用という言葉は、似ているようでいて実は異なる性質を持っています。私は長らく住宅不動産の世界に身を置いてきましたが、この二つを混同すると判断を誤ることが少なくありません。

 信頼とは、人と人との関係性の中に自然と芽生えるものです。家族や友人との間に築かれるのは、相手の人柄や誠実さに基づいた信頼です。それは「この人なら裏切らないだろう」という感覚であり、数値や契約に裏付けられたものではありません。

 一方で信用とは、数値や実績、そして制度によって担保されるものです。銀行がお金を貸すときに拠り所とするのは、その人の返済能力を示す信用です。過去の返済履歴や収入状況といった「目に見えるデータ」に基づき、貸すか貸さないかを判断します。
 また、企業が従業員に支払う給料や賞与も、ひとつの信用にもとづいて、支給額の差が発生していると思います。過去の実績や、業績、日々の勤務態度といった評価によって判断します。つまり信用は取引の土台であり、ルール化された関係の中で機能します。
 

 現代社会を見渡すと、どうしても「信用」の比重が大きくなりがちです。スコア化や数値化によって人を評価しようとする仕組みが広がっているからです。しかし、これだけでは社会はうまく回りません。数字の裏側にある人間の意志や心を信じる「信頼」がなければ、協力や共感は生まれにくいのです。逆に言えば、信頼の上に築かれた信用こそが、長期的に持続可能な関係を支えます。
 

 私は、この二つのバランスが大切だと考えています。信頼があるからこそ信用が厚みを持ち、信用を守る努力があるからこそ信頼が深まる。両者は対立する概念ではなく、補い合うものです。営業活動や会社経営においても、人間関係においても、この循環を意識できるかどうかが、大きな違いを生むのだと思います。

2025.08.25

愚痴

 米大リーグの大谷翔平選手が高校時代に掲げていた座右の銘をご存知ですか?

 それは、「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり」という言葉です。戦国武将・武田信玄の言葉とされ、まさに大谷選手の「覚悟」が伝わってきますね。

 さて、一方の石破茂首相は、「愚痴が多い」と指摘されています。例えば、アフリカ開発会議(TICAD)の夕食会で「首相をやっていると、あんまり楽しいことはない」とぼやき、昨年12月の講演では「普通の閣僚の何倍もしんどい」「新聞を読んでも誰もほめてくれないし、ネットをみれば本当に悲しくなる。寝る時間もほとんどない」とまでこぼしたそうです。5月の国会でも睡眠時間に触れ、「愚痴めいてごめんなさい」と釈明しています。

 これに対し、立憲民主党の小沢一郎議員はSNSで「総理にとって楽しい日本など必要ない」と指摘しました。真剣に職務に取り組む大谷選手のような姿勢と、時にこぼれる「愚痴」との対比は、私たち自身の仕事や責任への向き合い方を考えさせられます。


 大谷選手の言葉は、リーダーシップのあるべき姿を示しているのかもしれません。

2025.08.24

隠された心理とは

 お恥ずかしい話ですが、率先してやろうともせず、「すいません、できませんでした!」と言うことが、過去にありました。さすがに、還暦越えの歳になって、そのような機会は少なくなりました。どうでしょう、皆様も大なり小なり、ご経験がおありではないでしょうか。

 例えば、資料作成の締切に間に合わない。営業の数字が伸びない。契約がまとまらない。顧客対応でトラブルが続く!理由はいくらでも並べられます。そこで、以前から興味があり、勉強してきたアドラー心理学によりますと、それは「できない」のではない。
「やらない」という選択をしているに過ぎないのだといいます。そこには必ず目的があるというのです。

 仮に、プレゼン資料を期限までに仕上げられなかった社員がいるとします。彼は「忙しかった」と言いますが、本当のところは「完璧に作れなければ恥をかく」という不安を回避するために、あえて完成させなかった。あるいは「自分は能力が足りない」と周囲に思わせておくことで、責任を軽くする意図があるのかもしれません。つまり「できない」の裏側には、自分を守るための戦略が隠れているとのこと。
 営業職にしても同じです。目標に届かないことを「市場が悪い」「商品力が弱い」と説明する人がいます。ですが、その人は心のどこかで「成果を出せば次はもっと高いノルマを課される」という予感を抱き、それを避けるために本来の力を出し切らないかもしれないと。これは怠けではなく、防衛本能の一種であり、本人なりに筋が通った行動でもあるとしています。
 「そうかなぁ?」と、どうもアドラー心理学は、私には少し腑に落ちないところもあるのですが、肯定するとすれば、どのように解釈すれば良いのでしょう。

 つまり、アドラー心理学では「原因」ではなく「目的」を洞察することを勧めています。それは、上司が部下の失態を叱責するときや、フィードバックミーティングをする場面で、「なぜできなかった?」と問うのではなく、「あなたが、その選択をすることで、何を得ようとしたのか?」という質問を勧めています。それによって、本人に気づきを促すだけでなく、組織全体が責任転嫁の堂々巡りから抜け出すことができる良い質問を発することであると、位置づけています。

 このことから、所属する企業の就業規則や、随時発せられる業務改善指示令なるものに対して、素直に我が事として従順できない社員や、自分の都合のよいように拡大解釈して、是正しようとしない社員がいると想定しますと、「決められた指示に反した行為を選択することで、何を得ようとしたのですか?」という重い質問が必要になります。
 もちろん、人は弱い。誰しも失敗したくないし、また、反対に自分の思う通りに行動したいと思います。しかし、一方で他人の評価に怯えます。ですが、もう自分は、「やらない」という選択をしていると、意識し自覚できたとき、人はようやく自由になるのではないでしょうか。

 その理由は、他者の責任にせず、自分の目的に焦点を当てて物事を思索することになるからです。会社という小さな社会でも、この視点と自負があるだけで、心も空気も少し軽くなるのではないのかなぁ。