アキバのつぶやき

2025.11.07

立冬に思う

 暦の上では今日から冬です。「立冬」と聞くと、肌寒さよりも、どこか背筋が伸びる感覚があります。季節の移り変わりは、私たちのビジネスにも通じる節目のようなものです。
 
 自然の営みは、人間の経済活動よりもずっと長いスパンで動いています。春に芽吹き、夏に育ち、秋に実り、冬に休む。このサイクルは、一見あたりまえのようでいて、極めて合理的な構造です。

 ところが、現代のビジネスの多くは「常に成長し続ける」ことを前提にしています。つまり、冬のない経営です。しかし、自然界に冬があるように、企業や個人にも「休ませる時間」が必要なのではないでしょうか。
 
 立冬の頃に感じる静けさは、成長のための余白です。木々が葉を落とすのは、無駄を捨ててエネルギーを内側に蓄えるため。ビジネスにおいても同じことが言えます。商品やサービスを増やすばかりでなく、いったん立ち止まり、何を「減らすか」「やめるか」を見極めること。それが、次の春を迎えるための準備になるのです。
 
 私は「経営とはリズムの設計である」と思うのです。速さよりも、リズムの良さが持続を生む。立冬はそのリズムを整える絶好のタイミングです。焦って走るよりも、冬の静寂の中で深く呼吸し、次の動きに備える。そんなビジネスの在り方があってもいい。

 冬を恐れず、冬を味方にする。立冬の日に、そんな思考の転換をしてみるのも悪くありませんね。

2025.11.06

不確実性を生きるには

 この数年、世界はずっと落ち着かない。昨日の常識が、今日にはもう古くなっている。ニュースを見ても、SNSを眺めても、「何を信じて生きればいいのか」と疲れることが増えた。 でも、そんな不確実な時代を生き抜くコツは、案外シンプルなのかもしれない。私は最近、五つの小さな処世術を自分なりに持つようにしている。

 一つ目は、完璧を求めないこと。何事も“とりあえずこれでいいか”の仮決めで進める。後から修正すればいい。最初から完璧を狙うと、動けなくなってしまう。失敗しても「まあ、学びになったな」で済ませるくらいの軽さがちょうどいい。
 
 二つ目は、よく観察すること。
焦って動く前に、立ち止まって眺める。世の中は騒がしいけれど、自分の周りの小さな変化を見逃さないようにしている。そうやって観察していると、自分の中の“軸”がだんだん見えてくる。
 
 三つ目は、小さく試すこと。いきなり大きな決断をするのではなく、少しだけやってみる。その反応を見て、また考える。この「小さな実験」の繰り返しが、案外いちばん確実なのだと思う。
 
 四つ目は、人とつながること。たとえ目的がなくても、誰かと話す。メールでも雑談でもいい。関係があるだけで、少しだけ安心できる。人とのゆるいつながりは、想像以上に大きな支えになる。
 
 最後は、あいまいさを認めること。すぐに白黒つけたくなるけれど、「わからないままでも生きていける」と思うようにしている。未来はいつも未完成だ。それでいいのです。
 
 不確実な時代を生きるって、たぶん、完璧じゃない自分を許すことなのだと思う。焦らず、比べず、観察して、少しずつ進む。
そうやって今日も、自分のペースでやっていけばいい。

2025.11.03

多様性の寛容その2

 『史記・孟嘗君列伝』に出てくる「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事は、経営に置き換えて読むと、まさに“多様性のマネジメント”を語る格好の教材だと思います。
 
 孟嘗君が秦で、秦の昭王に面通りするにあたり、愛妾に懇願すると狐白裘が欲しいと言われた。しかし、既に秦の昭王に献上しており、手元にありませんでした。そこに、末席に座っていた狗盗の達人が名乗り上げ、「私が盗み出しますのでご安心ください」と。

 そして、無事盗むことが出来たのですが、今度は秦を脱出する時、開門の規則では鶏が鳴かなければ開けられないことになっていました。そこで、家臣の一人が鶏の鳴き声をまねて城門を開けさせて脱出したというものです。この話の核心は、「取るに足らない」と思われた才能が、決定的な瞬間に組織を救ったという点にあります。
 
 経営において、同じような価値観やスキルを持つ人ばかりでチームを固めると、判断は早くても発想は貧しくなります。一方で、バックグラウンドの違う人材が集まると、短期的には摩擦が生じます。でも、その摩擦こそが創造の火花になる。異なる視点や感性のぶつかり合いの中から、新しい価値が生まれるのです。孟嘗君は、それを本能的に理解していたのでしょう。

 彼が優れていたのは、単に「人を集める力」ではなく、「人を活かす構え」にあります。“鶏鳴”“狗盗”のように、一芸しかない者をも受け入れ、それぞれに役割を与える。つまり、人を“序列”ではなく“場”で見ていたのです。この「適材適所の哲学」は、現代の経営にもそのまま通じます。多様な人材を活かすとは、違いをならすことではなく、違いのまま協働できる環境を整えることなのです。

 組織が危機に陥ったとき、意外な力を発揮するのは、往々にしてメインストリームから外れた人です。普段は目立たなくても、特定の局面でこそ真価を発揮する。そうした「一芸の人」が動ける余白を持つ組織は、変化に強い。経営とは、結局のところ“人のポテンシャルに賭ける営み”なのだと思います。

 鶏鳴狗盗の故事は、リーダーにこう問いかけているように感じます。あなたの組織には、“一見役に立たなそうに見える人材”が生きる余白があるか。

 多様性を受け入れるとは、寛容ではなく戦略なのです。

2025.11.02

多様性の寛容その1

 「多様性の受容こそが成功の基」と聞くと、多くの人は“寛容”や“共生”といった穏やかな言葉を思い浮かべるかもしれません。しかし、実際にはそれは“厳しさ”を伴う行為でもあります。

 多様性を受け入れるとは、自分の価値観をいったん脇に置き、他者の視点を自分の中に取り込むことです。
これは簡単なことではありません。自分の正しさにこだわるほど、異なる考え方は不快に感じてしまうものです。だからこそ、多様性の受容には「自分を相対化する勇気」が求められます。
 
 組織の現場では、この“異質さ”がしばしば摩擦を生みます。
同じ目標を掲げていても、アプローチの違いから衝突が起こることもあるでしょう。しかし、摩擦を避けて同質性を優先すると、組織は一見まとまりが良くても、やがて硬直してしまいます。

 多様性を受け入れる組織は、短期的には不安定ですが、その中から生まれる化学反応が新しい価値を生み出していきます。
成功の基とは、まさにこの「創造的な不安定さ」に耐え、活かす力のことだと思います。
 
 不動産の現場でも同じです。家族のあり方や働き方が多様化する中で、顧客の価値観も本当にさまざまです。「良い家とは何か」という問いに、かつてのような共通解はありません。

 営業マンが自分の経験や常識だけで判断してしまえば、顧客の本当の願いを見誤ります。相手の価値観を尊重し、丁寧に耳を傾けること。
そこから信頼が生まれ、結果として成果につながっていくのです。

 つまり、「多様性を受け入れる姿勢」こそが、不動産営業の成功を支える基盤なのです。結局のところ、多様性の受容は「優しさ」ではなく「成熟」だと感じます。異なる価値を認めながらも、自分の立ち位置を見失わないこと。このバランスを保てる人や組織こそが、変化の時代にしなやかに成長していくのだと思います。

 成功とは、誰かに勝つことではなく、違いと共に歩みながら自らを高めていく力なのです。

2025.11.01

人間関係について

 26年ぶりに逮捕された犯人が、被害者の夫の同級生だったというニュース。 この出来事を耳にして、私たちはまず「なぜそんなことが起こるのか」と驚く。しかし、少し視点を引いてみると、そこには「人間関係と信頼の構造」という、より普遍的なテーマが浮かび上がってきます。

 人間関係は、多くの場合「近さ」と「安心感」でできています。ですが、この近さこそが、時に最大の盲点になります。信頼は本来、リスクを前提に成り立つものです。完全に安全な関係など存在しません。むしろ「信頼している」という言葉の裏には、「裏切られるかもしれないけれど、それでも任せる」という覚悟があります。
 
 殺人事件のような極端な事例でなくとも、職場や組織の中で似た構造を見かけます。長年の付き合いだから大丈夫、彼は同じ釜の飯を食った仲だから、という思い込みが、往々にして判断を鈍らせます。人間は、知っている相手ほど見ます。関係の深さが安心を生み、その安心が観察を曇らせるのです。

 時間が経つほど、信頼は自然に深まるように思われがちですが、実際には「確認されない信頼」は、少しずつ劣化していく。26年という歳月の中で、被害者家族の時間は止まり、加害者の時間は進んでいきました。信頼の構造もまた、放置すれば風化する。

 私たちにできるのは、時間を過信せず、関係を定期的に見直すことです。「昔から知っている」という理由ではなく、「今も見ている」「今も聞いている」という関わりの積み重ねこそが、本当の信頼を支えると思うのです。
 
 時間は、癒しにも逃避にもなります。だからこそ、信頼を維持するには、意識的な“再接続”が必要なのではないでしょうか。