アキバのつぶやき
2025.09.14
人を動かすエンジンについて
人はなぜ働くのか、なぜ学ぶのか。根っこの部分を探っていくと、必ず「承認欲求」というものに行き当たります。人から認められたい、褒められたい、存在を見てもらいたい。これを抜きにして人間の行動を説明するのは難しい。経済学では、人は損得で動くとされますが、実際には損得の裏に「見られている自分」が顔を出しています。
ただし厄介なのは、承認欲求には「外側」と「内側」の二つのレイヤーがあることです。外側は文字通り他者からの評価。これは環境次第で大きく揺れ動きます。上司が変われば承認の基準も変わる。だから外側の承認欲求だけに依存すると不安定になります。
一方、内側の承認は自分自身が自分を認めること。今日はここまでやれた、自分の価値観に沿って選んだ、といった自己承認です。本当に強い人や組織は、この内側の承認を大事にしています。結果として外からの評価がついてくる。この順序を逆にすると、周囲に振り回されることになる。
組織におけるリーダーシップも同じです。部下に「承認されたい」という気持ちがあるのは前提として、その欲求をどう健全に満たしていくかが重要です。おだてるのではなく、役割や成果を正しく言葉にする。これが承認の本質です。
つまり承認欲求は、人間を動かす「燃料」みたいなもの。問題は燃やし方です。外の承認に一喜一憂して煙を出すのか、内の承認を基盤にして安定した炎を保つのか。私たちは日々その選択を行っているのだと思います。
2025.09.13
脳内ホルモンと経済
人が信頼し合い、安心して関われる環境では、自然とオキシトシンが相互に分泌され、協力や共感が生まれます。その土台の上でこそ、人は創造的に働き、組織は力を発揮できるのです。
一方で、私たちが長く信じてきた「競争こそ経済を発展させる」という考え方は、オキシトシンの視点から見ると必ずしも持続的ではありません。競争は一時的に生産性を押し上げるかもしれませんが、不安や警戒心を増幅させ、オキシトシンの分泌を妨げます。 結果として、人間関係はぎくしゃくし、信頼のネットワークが途切れてしまうのです。
経済も組織も、人が互いに信じ合い支え合うことでこそ反映する。そう考えると、競争だけに依存する発想は限界を迎えているのではないでしょうか。現代のSDGsにつながりますね。
まさに、競争ではなく共感の連鎖こそが、組織を強くし、経済を持続させる原動力となるのです。ただ問題は、相互にそれを受容できる素養があるかないかです。だから、社会に出るまでにリベラルアーツの修養が重要なのだと思います。
経済は数字の集合体に見えますが、その根底にあるのは「人と人との関係の総和」です。オキシトシンが生み出す信頼の循環を意識することで、組織は成果主義的な戦場から、人が安心して挑戦できる共同体へと変わります。そして、そのような組織の集合体こそが、競争ではなく共生によって繁栄する新しい経済の姿なのかもしれません。
ポスト資本主義社会が、もう到来しているのではないかと強く感じながら、自身の修養に努力していきます。
2025.09.12
折れた煙草で分かるだろうか?
中条きよしさんの「うそ」という歌がヒットしました。今でも口ずさむことが出来るぐらい、インパクトのある歌詞です。
タバコではなく、世の中には、感情や状態を「色」で表現する、なかなか味わい深い言葉の文化があります。たとえば、経験の浅い若者を「青二才」と呼んだり、人の腹の底にある黒い企みを「腹黒い」と言ったりします。こうした比喩は、色という感覚的なものを通して、私たちの理解や共感をスッと深めてくれます。
もしこれが本当だとしたら、「摩訶な嘘」という表現は、実は「とびきり大きな嘘」、つまり質・量ともにとんでもない嘘を指していたのかもしれません。この「摩訶な嘘」が、現実に公的機関で起きてしまった。しかも、それが科学捜査という極めて専門性が高く、かつ社会的信頼が強く求められる領域で起きたという点に、今回の問題の根深さがあります。
科学的に見えるものの裏側に、不確かさや人間的な弱さが入り込んでいた。これこそが、「摩訶な嘘」たる所以でしょう。
この技術職員は懲戒免職という処分を受けましたが、それで終わりではありません。問題は、なぜ7年ものあいだ、組織の中でその嘘が見抜かれなかったのか。言い換えれば、「内部統制」という、組織の仕組みと文化がどう機能していたのか、という点にあります。組織は、どこまでいっても「人の集まり」です。人がいる限り、ミスもあれば、嘘もある。その前提に立って、仕組みやチェックの体制をどう設計するか。
加えて、「嘘はつかない」という最低限の倫理観を、どうすれば職員一人ひとりに根づかせられるか。そこにしか、本質的な解決策はありません。言い換えれば、「摩訶な嘘」を防ぐのは、「摩訶な仕組み」ではない。地味で、地道で、面倒な作業の積み重ね。
誰かが見ていなくても、自分のやるべきことを淡々とやる。そんな姿勢が、実はもっとも強い信頼をつくるのだと思います。
マネジメントの父、ドラッカー氏の言葉に、「リーダーに必要な資質は真摯さ」とあります。蓋し名言ですね。
2025.09.11
学歴詐称問題に感じる「問いの質」
静岡県伊東市の市長による学歴詐称疑惑と、それに端を発した市議会解散。この出来事をニュースとして消費してしまえば「不祥事の一つ」で終わります。しかし、そこで思考を止めずに「問いの質」を上げることが、本当の学びになるのではないでしょうか。
第二の問いは、「学歴への過剰な依存はなぜ続くのか」という問題です。社会は依然として学歴を価値判断の軸に据えています。これは本人にとっては誘惑となり、市民にとっては先入観を強化する仕組みです。この構造を変えない限り、同様の問題は繰り返されるでしょう。
こうした問いを積み重ねていくと、この事件は単なるスキャンダルではなく、社会全体に向けられた「問いの鏡」であることが見えてきます。問いの質を高めることで、政治や行政を「他人事」ではなく「自分事」として考える視座が生まれるのではないかとお思います。
2025.09.09
人生と幸福について
人生というものを振り返ってみると、突き詰めれば「幸福を求める努力の積み重ね」なのだと思いませんでしょうか。人は生まれながらにして、幸福を手にしているわけではありません。むしろ、幸福は自らの選択と行動によって形づくられ、更新されていくものであって、誰かから与えてもらうものではないのです。
大切なのは、「幸福」がゴールとして遠くにあるのではなく、努力そのものの中に幸福が宿る、という視点ではないでしょうか。仕事で新しい挑戦を重ねたり、家庭や仲間との関係を深めたりする過程で、人はすでに幸福の一端を味わっています。幸福とは、到達点ではなくプロセスに埋め込まれたものなのです。
また、幸福の形は人それぞれです。ある人にとっては経済的な安定かもしれませんし、別の人にとっては自由な時間や、誰かと共に過ごす温かいひとときかもしれません。他人と比べることなく、自分にとって意味のある努力を続けること。それが人生を幸福にする鍵だと思います。
結局のところ、人生とは「幸福を追い求める努力の連続」であり、その歩み自体が私たちを豊かにしてくれるのです。
どんな時でも、幸福を求めることに意志し続けることを、我が人生観としていきます。
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