アキバのつぶやき

2025.12.25

カリスマ創業者

 ニデックの創業者である永守重信氏が、突然、経営の第一線から退くというニュースがありました。多くの人が驚いたと思いますが、私はこの出来事を「事件」としてではなく、「必然」として見たほうが理解しやすいのではないかと感じています。

 永守氏は、日本の経営者の中でもきわめて例外的な存在です。強烈な意思、圧倒的な行動量、そして細部にまで及ぶ執念。ニデックという会社は、良くも悪くも、その人格がそのまま組織化された企業でした。創業者経営とはそういうものですし、むしろそれがあったからこそ、ニデックは世界企業になったのだと思います。
 
 しかし、創業者の強さは、ある段階から「強み」と「制約」の両方になります。創業者が正しすぎると、組織は学習しにくくなる。判断が速すぎると、周囲は考える前に従うようになる。これは能力の問題ではなく、構造の問題です。

 今回の辞任が示しているのは、経営の成否ではなく、経営のフェーズが変わったという事実でしょう。創業者が前に立って引っ張る段階と、組織が自律的に回る段階は、必要とされるリーダーシップがまったく異なります。両方を同じ人が完璧にやるのは、ほとんど不可能です。
 
 ここで重要なのは、「後継者が誰か」よりも、「創業者がいない状態で、意思決定が回るかどうか」です。個人のカリスマに依存していた企業ほど、この移行は難しい。だからこそ、辞任は遅すぎても、早すぎてもいけない。
 
 永守氏の辞任は、ニデックにとってのリスクであると同時に、最大のチャンスでもあります。創業者の影から自由になったとき、会社は初めて自分自身の実力を問われる。ここを越えられるかどうかで、ニデックが「偉大な創業者の会社」で終わるのか、「創業者を超える組織」になるのかが決まる。

 創業者が去るとき、その企業は成熟するか、弱体化するか、どちらかです。永守氏の突然の辞任は、その分岐点が、いまここにあるということを静かに示しているのだと思います。

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