アキバのつぶやき

2025.11.09

令和の従業員は梯子を持ち運ぶ働き方が求められる!

 「梯子を外される」という言葉には、妙な現実味が存在します。

それまで確かにあったと思っていた足場が、気づけばスッと消えている。しかも、誰かが意地悪で外したというより、時代の流れの中で自然にそうなってしまう。

 そこが一番厄介です。
サラリーマン人生を「梯子の上り下り」にたとえるなら、それは「構造」に依存する生き方です。会社という組織が用意してくれた階段を、順序よく上っていく。どの段にどんな景色が見えるかは、ほぼ決まっています。ところが今、その梯子自体が揺らいでいるのです。昇進という梯子、年功という梯子、終身雇用という梯子。どれも少しずつ軋みを上げています。

 問題は「梯子がなくなった」ことではございません。梯子があることを前提にして生きてきたことが問題です。構造の変化に気づくのはいつも遅い。だから「外された」と感じる。実際には、梯子は誰も外していない。ただ、固定されていたと思っていたものが、もともと不確かな支えに過ぎなかっただけです。

 では、どうすればいいのでしょうか。私は「梯子を持ち運べる人」になることが肝心だと思うのです。つまり、自分で足場を設計できる人になろうということです。

 会社や制度に依存せず、自分の価値を市場に接続できる人になることです。構造の上に立つのではなく、構造を利用して動ける人。そのために必要なのは、スキルよりも「構造を読む感覚」です。どこに梯子が立てられそうか、どの方向に登るべきか。構造を読み解く眼があれば、梯子を外されても転落せずに済むのです。

 そう考えますと、「梯子を外された」と感じた瞬間こそ、実はチャンスとなるのです。自分の足で立つ感覚を取り戻す絶好の機会です。構造が崩れることを恐れるより、構造があるうちに依存してしまうことを恐れたほうがいい。

 梯子が外れたとき、ようやく見える景色が現れます。そんな逆説を楽しめるサラリーマンが、これからの時代を生き抜くのだと思うのです。

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