アキバのつぶやき

2025.11.03

多様性の寛容その2

 『史記・孟嘗君列伝』に出てくる「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事は、経営に置き換えて読むと、まさに“多様性のマネジメント”を語る格好の教材だと思います。
 
 孟嘗君が秦で、秦の昭王に面通りするにあたり、愛妾に懇願すると狐白裘が欲しいと言われた。しかし、既に秦の昭王に献上しており、手元にありませんでした。そこに、末席に座っていた狗盗の達人が名乗り上げ、「私が盗み出しますのでご安心ください」と。

 そして、無事盗むことが出来たのですが、今度は秦を脱出する時、開門の規則では鶏が鳴かなければ開けられないことになっていました。そこで、家臣の一人が鶏の鳴き声をまねて城門を開けさせて脱出したというものです。この話の核心は、「取るに足らない」と思われた才能が、決定的な瞬間に組織を救ったという点にあります。
 
 経営において、同じような価値観やスキルを持つ人ばかりでチームを固めると、判断は早くても発想は貧しくなります。一方で、バックグラウンドの違う人材が集まると、短期的には摩擦が生じます。でも、その摩擦こそが創造の火花になる。異なる視点や感性のぶつかり合いの中から、新しい価値が生まれるのです。孟嘗君は、それを本能的に理解していたのでしょう。

 彼が優れていたのは、単に「人を集める力」ではなく、「人を活かす構え」にあります。“鶏鳴”“狗盗”のように、一芸しかない者をも受け入れ、それぞれに役割を与える。つまり、人を“序列”ではなく“場”で見ていたのです。この「適材適所の哲学」は、現代の経営にもそのまま通じます。多様な人材を活かすとは、違いをならすことではなく、違いのまま協働できる環境を整えることなのです。

 組織が危機に陥ったとき、意外な力を発揮するのは、往々にしてメインストリームから外れた人です。普段は目立たなくても、特定の局面でこそ真価を発揮する。そうした「一芸の人」が動ける余白を持つ組織は、変化に強い。経営とは、結局のところ“人のポテンシャルに賭ける営み”なのだと思います。

 鶏鳴狗盗の故事は、リーダーにこう問いかけているように感じます。あなたの組織には、“一見役に立たなそうに見える人材”が生きる余白があるか。

 多様性を受け入れるとは、寛容ではなく戦略なのです。

コメント

コメントフォーム