アキバのつぶやき

2025.10.19

国民総株主と従業員を資本家に

 前澤友作氏の新事業「国民総株主」というコンセプトをもって立ち上げた、株式会社カブ&ピースをご存知でしょうか?私は、設立と同時にサービスに申し込みをしました。電気ガス料金を従来の会社からカブ&ピース社に替えたのです。
 
 切り替えに際し、面倒な手続きも必要なく、今もトラブルもなく満足はしています。多くあるのはポイントが付与されるサービスが多いのでしょうが、このサービスは利用者に、株式の上場を果たした時に、利用者に株を提供するという事業モデルです。今までにないモデルだと共感したのが第一です。もちろん、上場できないというリスクは存在しますが、それは自分にとってリスクというほどのものではないと感じたので、躊躇なく申し込みをしました。

 このサービスは一見すると“資本主義の民主化”という理想を掲げているように見えます。同時に、日経新聞が報じた「従業員を資本家に」という企業の姿勢とも重なります。これまでの「資本と労働の分断」を超える新しい企業像を提示しているかのようです。
 
 でも、「それは“理念”としては面白いが、ビジネスとしての構造がどこにあるのかを見極める必要がある。」と思います。つまり、「誰がリスクを取り、誰がリターンを得るのか」という仕組みを冷静に見る視点が必要。その構造を無視して理念だけを語ると、経営はたちまち“美辞麗句の装置”になってしまうということです。
 
 たとえば「従業員持ち株制度」。表面的には“従業員が企業のオーナーシップを持つ”という、聞こえの良い制度です。しかし実態としては、賃上げの代替策、すなわち“報酬の先送り”という構造をもっています。「給与で払うと経費になるが、株で持たせれば支出を繰り延べられる」。これが経営の合理です。この合理性を否定する必要はありませんが、それを「共感経営」や「分かち合い」と言い換えてしまうと、話が違ってきます。

 「言葉の美化が、経営のリアリティを曇らせる」ということになるのではないでしょうか?株を持たせたところで、株価を上げる意思決定には、現場の社員が関与できない構造は変わりません。それなのに「あなたもオーナーです」と言われても、それは“気分としての資本家”に過ぎません。ここにあるのは、「所有」と「経営」の分断ではなく、「責任」と「報酬」の分断です。

 一方で、前澤氏の「国民総株主」という発想は、その分断を社会レベルで溶かそうとする試みでもあります。株主という言葉を“金融”の文脈から“社会参加”の文脈に移し替えようとしている。この発想は、「好きなことに一生懸命」型の思考です。つまり、“合理性と情熱の一致”を目指す方向にあるように思えます。
ただ、「構想は自由だが、経営は構造である。」

 理念を現実にするには、“誰がどのようにリスクを取るか”の設計がすべてです。国民総株主というのは、「国民全員にリスクを分散する仕組み」なのか、「リスクを見えなくする装置」なのか。この線引きこそ、ビジネスの生命線です。

 要するに、「従業員を資本家に」「国民を株主に」という発想は、資本主義の“分配”ではなく“責任”の問題と思うのです。お金をどう分けるかよりも、リスクと判断の重みをどう共有するか。

 そこに本当の“経営の物語”を見るのではないでしょうか?

コメント

コメントフォーム