アキバのつぶやき
2025.10.10
免疫細胞と哲学的思考
ニュースでノーベル賞の発表があるたびに、秋の空気が少し澄んで感じられます。科学の話題でありながら、どこか文学的な香りがするのは、受賞者たちの歩みが「人間の探求」という普遍的な営みと重なるからでしょう。
今年もまた、免疫に関する研究が注目されました。私たちの体の中では、無数の細胞たちが昼夜を問わず働いています。その中心にいる免疫細胞は、外からの異物を見分け、排除し、時には過剰に反応して自らを傷つけてしまう。まるで、人間の思考そのもののようです。
哲学的に考えれば、免疫とは「自己」と「他者」を識別する能力のことです。免疫が強すぎれば、他者を拒絶し、弱すぎれば、自分を保てない。人の社会もまた、これに似ています。異なる意見や価値観をすぐに「排除」してしまうと、思考の多様性が失われていく。
でも、何でも受け入れてしまえば、自分という輪郭が曖昧になります。
この「ほどよさ」、塩梅というバランスこそ、免疫にも哲学にも必要なのかもしれませんね。
ノーベル賞を受け取る研究者の多くは、成果を誇るよりも、「わからないことの中にいる時間の長さ」を語ります。未知と共存する姿勢。それは、免疫細胞が異物と出会いながら、少しずつ賢くなっていく過程にも似ていると思います。思考もまた、異質なものに触れることで鍛えられる。完全に同質な世界では、発見も成長もありません。
私たちは日々、自覚なく体の中で小さな闘いを繰り返しながら、生きています。免疫細胞が静かに学びを重ねるように、心もまた、出会いや葛藤を通して自分を更新していきます。
ノーベル賞の輝きの奥にあるのは、そんな「日常の哲学」なのかもしれませんね。
受賞おめでとうございます。