アキバのつぶやき

2025.09.12

折れた煙草で分かるだろうか?

 中条きよしさんの「うそ」という歌がヒットしました。今でも口ずさむことが出来るぐらい、インパクトのある歌詞です。

 タバコではなく、世の中には、感情や状態を「色」で表現する、なかなか味わい深い言葉の文化があります。たとえば、経験の浅い若者を「青二才」と呼んだり、人の腹の底にある黒い企みを「腹黒い」と言ったりします。こうした比喩は、色という感覚的なものを通して、私たちの理解や共感をスッと深めてくれます。

 さて、「嘘」の色は何色か?おそらく多くの人が、「真っ赤な嘘」と答えるのではないでしょうか。これは感覚的にもしっくりきます。「真っ赤」と聞くと、どこか大げさで、あからさまで、隠しようのない嘘、そんな印象を受けます。
ただしこの「真っ赤な嘘」にも、ちょっとした言葉のトリビアがあります。サンスクリット語の「マハー(大きな)」が語源となり、それが漢字で「摩訶(まか)」と訳され、やがて「まっか」と誤解されたという説もございます。

 もしこれが本当だとしたら、「摩訶な嘘」という表現は、実は「とびきり大きな嘘」、つまり質・量ともにとんでもない嘘を指していたのかもしれません。この「摩訶な嘘」が、現実に公的機関で起きてしまった。しかも、それが科学捜査という極めて専門性が高く、かつ社会的信頼が強く求められる領域で起きたという点に、今回の問題の根深さがあります。

 佐賀県警の科学捜査研究所に勤務していた技術職員が、実際にはDNA型鑑定を行っていないのに、「鑑定した」と報告していた。これが7年以上にわたり、130件にものぼるというのです。さすがにこの事態には、誰もが目を疑ったはずです。
DNA型鑑定は、現代の刑事司法においてきわめて重要な役割を果たしています。そこに不正があれば、冤罪を生む可能性すら出てくる。

 科学的に見えるものの裏側に、不確かさや人間的な弱さが入り込んでいた。これこそが、「摩訶な嘘」たる所以でしょう。
今回の件で見えてくるのは、「技術の正しさ」と「人の正しさ」は、まったく別物だということです。どれだけ精緻な技術があっても、それを扱う人間の倫理観や誠実さがなければ、その価値はゼロになる。いや、場合によってはマイナスです。

 この技術職員は懲戒免職という処分を受けましたが、それで終わりではありません。問題は、なぜ7年ものあいだ、組織の中でその嘘が見抜かれなかったのか。言い換えれば、「内部統制」という、組織の仕組みと文化がどう機能していたのか、という点にあります。組織は、どこまでいっても「人の集まり」です。人がいる限り、ミスもあれば、嘘もある。その前提に立って、仕組みやチェックの体制をどう設計するか。
 
 加えて、「嘘はつかない」という最低限の倫理観を、どうすれば職員一人ひとりに根づかせられるか。そこにしか、本質的な解決策はありません。言い換えれば、「摩訶な嘘」を防ぐのは、「摩訶な仕組み」ではない。地味で、地道で、面倒な作業の積み重ね。


 誰かが見ていなくても、自分のやるべきことを淡々とやる。そんな姿勢が、実はもっとも強い信頼をつくるのだと思います。
「真っ赤な嘘」が堂々とまかり通る社会ではなく、「地味に誠実」が評価される社会へ。今回の事件は、その問いを私たちに突きつけています。

 マネジメントの父、ドラッカー氏の言葉に、「リーダーに必要な資質は真摯さ」とあります。蓋し名言ですね。

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