アキバのつぶやき

2025.08.07

自分というものはないから

 最近、ふと目にしたタイトルに「自分というものは、ないから」というものがありました。
たったこれだけの言葉に、私は強い引力を感じました。


 これはおそらく、「自己とは何か」という人間の根源にかかわる問いを投げかけているのでしょう。
最初に思い浮かんだのは、仏教における「無我」の思想です。私たちは「自分」という一貫した存在があると信じていますが、仏教的には、それは単なる束のようなもので、常に変化し続ける関係性や現象の集まりにすぎないと思います。また、そう考えると、「自分にこだわる」ことが、むしろ苦しみの源であると言えるのです。


 よく言われてきた言葉で、「自分らしく生きろ!」がございます。そうだ!そうだ!と、その時は妙に納得させられる言葉ではありますが、「自分らしく?」、「そういわれてもなぁ!」というのが正直なところではないでしょうか。

 テクノロジーの現代社会に生きる私たちは、SNSや組織、家庭など、無数の「役割」を演じる中で、本来の自分を見失いやすい時代にいます。ですので、「本当の自分はどこにいるのか」と問い続ける人も多いとおもいます。


 そんな中、「自分というものはない」と言い切ることで、むしろ自由になれるのではないか。そんな逆説的な視点が、このタイトルには含まれているように感じました。

 自分を探し続けるのではなく、自分は常に変化し、構築されていく存在だと受け入れる。そうすれば、「こうあるべき」という呪縛から解放され、もっと軽やかに、日々を柔軟に生きられるのではないでしょうか。

 「自分というものはないから」。これは否定ではなく、再定義の入り口でと考えるのです。固定された「私」あるいは「己」にしがみつくのではなく、流動する「私たち」、「我々」として世界に関わっていく。


 そんな生き方こそが、今を生きるヒントなのだと思います。

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