アキバのつぶやき
2025.07.30
優遇
自分は特別な扱いを受けていると思うと、それはそうだ!と思う人と、そんなわけないだろう!と思う人に二分されます。偶々、テレビで徳勝龍の優勝インタビューを観ました。
「自分なんかが、優勝していいのでしょうか?」
とても謙虚で、日本人好みの発言ですね。
ですが、内心では大半の方が、前者を認識されるのではないでしょうか。自尊心というものが、人の心の奥底に存在します。だからこそ、混沌のこの世に、なんだかかんだといいながら、生き続けることができるとも言えます。
最近、「外国人が日本で優遇されすぎているのではないか」という声をよく耳にします。確かに、住民税を納めていない外国人が無担保で起業資金を得たり、生活保護や医療制度を利用しているという話がメディアやSNSで拡散されると、不公平感を抱くのも無理はありません。
ただ、少し立ち止まって背景を見てみましょう。まず、こうした制度は、戦後の日本が国際社会の一員として果たしてきた役割に根差しています。たとえば、外国人留学生への奨学金支援は、将来の国際的な架け橋になる人材を育てるという目的で始まりました。ある意味、外交戦略の一部でもあるのです。
また、少子高齢化が進む日本において、労働力不足は深刻です。介護や農業、建設など、国内人材だけでは支えきれない分野が増え、外国人の力が不可欠になっています。そのため、生活基盤の整備や制度面での支援が強化されてきたという事情もあります。
もちろん、制度の運用において不備や抜け穴があることは否定できません。とくに生活保護や健康保険などは、「準用」とされているにもかかわらず、実質的には日本人と同等の扱いがなされている例もあるようです。ここには、制度設計の曖昧さや行政の形式主義が影を落としています。
ただ、本質的な問題は、「外国人が優遇されている」というよりも、「日本人が十分に支援されていない」ことなのかもしれません。日本人学生が奨学金で借金を背負う一方で、外国人留学生には給付型の支援が手厚くある。このギャップに、不公平感が募るのは自然なことです。
こうした感情を一部の政党が「日本人ファースト」という形で表現し、有権者の共感を得たのも、ある意味では当然の流れと言えるでしょう。今こそ、冷静に事実を見つめ、制度の見直しを進める時ではないでしょうか。