アキバのつぶやき

2025.07.25

日付の裏に潜むもの

 私たちは日めくりのようにカレンダーをめくり、新しい日付に何の疑問も抱かず、ほとんど意識することなく、新たな時間を刻み始めます。しかし、この「カレンダー」という言葉が、古代ローマにおける金の貸し借り、すなわち「債務」の記録に由来すると聞けば、その背後にある歴史的含意に、私たちはもう少し敏感になるべきと思うのです。

 「カレンダエ」とは、まさに利息計算の基準日、毎月1日を指したのだそうです。日付とは、古来より人間に課せられた、ある種の「拘束」や「義務」、あるいは「負債」の記号であったわけです。まるで古代ローマの会計簿の如く、期限として刻まれた「8月1日」。

 この日付は、日米関税交渉の「決着」という名のもとに、ある種の「債務」を日本側に背負わせました。当初トランプ大統領が書き込んだ「25%」という数字が、最終的に「15%」で合意したとのことです。メディアの一部には「マイナス10ポイント」という数値に安堵の声もあったようですが、それは一体、何を基準とした「安堵」なのでしょうか。

 本来は課すべきでないところを、筋の通らない『15%』をのまされました。それが実相です。この一句は、今回の「合意」が、いかに「合意」という美名の下に実質的な「押し付け」であったかを雄弁に物語っています。交渉の「成果」として喧伝されるレトリックの虚飾を、私たちは見抜く必要があります。


 実際、この「決着」を受けて、「国益を守り抜けたのか」という根本的な疑問が噴出し、政権の「強気発言」が結局「遠吠えに終わった」とまで酷評されています。さらには、「KY首相では日本丸沈没」といった厳しい論調が散見されることこそ、この「合意」の代償の大きさと、それに伴う不信感の深さを示唆しています。


 外交とは、レトリックとポーズの応酬ではありますが、その裏で実質的な国益が損なわれるならば、それはもはや滑稽な寸劇でしかありません。

 私たちは、カレンダーに刻まれた「日付」が持つ「債務」や「期限」という古来からの意味合いを改めて噛みしめるとともに、政治が掲げる「合意」や「決着」といった言葉の背後にある「実相」を、常に疑いの目で吟味するべきでしょう。そうでなければ、私たちは、見えない「足かせ」を自ら進んで装着させられることになるかもしれません。


 その意味で、この8月1日という日は、未来に向けた警告として、カレンダーに深く刻まれたはずです。

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